島原の乱における一揆勢の主要人物
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島原の乱における一揆勢の主要人物(しまばらのらんにおけるいっきぜいのしゅようじんぶつ)は、江戸時代初期に起こった日本の歴史上最も大規模な一揆・島原の乱で、一揆を起こした首謀者、関係者のことである。
一揆勢の陣容については乱勃発時の史料が少なく、記録に残ったものは後世に欠かれた史料をもととしたものが多く、信憑性に乏しいものもある。
乱の主な首謀者・指導者
[編集]首謀者・指導者には、関ヶ原の戦いで処刑された小西行長、その後改易などにあった有馬晴信、加藤清正の家中の者が多いと思われる。
- 城内役職
- 総大将:益田四郎時貞〔益田好次の嫡子〕
- 評定衆:益田好次〔小西氏旧臣〕
- 評定衆・本丸大将[1]・三ノ丸出丸大将[2]:有家監物入道休意(時次)〔有馬氏・松倉氏旧臣〕
- 評定衆:蘆塚忠右衛門(貞家)〔小西氏家臣の子・有馬氏旧臣〕
- 評定衆:渡辺伝兵衛〔大矢野 元庄屋〕
- 評定衆:赤星内膳(道重)〔加藤氏家臣の子[3]〕
- 評定衆:会津宗印〔浪人〕
- 評定衆[4]:大江治兵衛〔天草大江村庄屋〕
- 評定衆:三宅次郎右衛門(重徳)〔松倉氏家臣・蔵奉行〕
- 惣奉行・兵糧奉行:森宗意軒〔小西氏旧臣〕(首謀者の一人[5])
- 惣奉行:蜷川左京〔浪人〕
- 侍大将・武者奉行:池田清左衛門(光時)〔浪人〕
- 武者奉行:松島半之丞〔松倉氏旧臣〕
- 武者奉行:布津村代右衛門〔浪人〕
- 武者奉行・二ノ丸北丸番頭:会津玄察〔松倉氏旧臣[6]・医者〕
- 鉄砲奉行:柳瀬茂右衛門〔浪人〕
- 鉄砲奉行:鹿子木右馬助〔浪人〕
- 鉄砲奉行:時枝隼人〔浪人〕
- 使武者:千々石作左衛門(正時)〔浪人〕
- 使武者:会津刑部(重定)〔浪人〕
- 夜廻奉行:志岐丹波(義安)〔浪人〕
- 夜廻奉行:栖本左京進〔浪人〕
- 原城本丸 守備(約2000人[7])
- 原城大江丸 守備(約1400人[7])
- 原城二ノ丸 守備(約5200人(非戦闘員除く)[7])
- 原城二ノ丸出丸 守備(約500人[9])
- 出丸大将:田崎刑部(重吉)〔浪人〕
- 原城三ノ丸 守備(約3600人[10])
- 原城天草丸 守備(約4000人)
- 浮武者(遊軍)(約2000人)
※印は幕府方に投降した人物
脚注
[編集]出典
[編集]- 田丸具房(常山)『天草騒動』(1692年)
- 鶴田倉造著『Q&A 天草四郎と島原の乱』(熊本出版文化会館、2008年)
- 北野典夫著『天草キリシタン史』(葦書房、1987年)
- 倉田文史『西海の乱・天草民衆運動史研究(上巻)』(西海文化史研究所、1995年)
- 倉田文史『西海の乱・天草民衆運動史研究(下巻)』(西海文化史研究所、1995年)
- 江越直紀編『諸記録・諸藩から視る 島原・天草の乱』(自費出版、2008年)