島村干雄
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島村 干雄(しまむら たてお、1856年7月2日(安政3年6月1日) - 1910年11月9日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
履歴
[編集]1856年(安政3年)、土佐国土佐郡久万村(現在の高知市)に島村重吉の次男として生まれる。1873年(明治6年)上京し陸軍幼年学校に入学するが、放縦の故退学になる。1874年(明治7年)3月、熊本に行き谷干城の兵士になる。佐賀の乱や台湾征伐で武功をあげ、1877年(明治10年)6月、歩兵少尉に任官。1879年(明治12年)から1882年(明治15年)までと、1884年(明治17年)から翌年、渡清し諜報任務に従う。
1896年(明治29年)9月、歩兵第33連隊長に就任。1899年(明治32年)3月、歩兵大佐に昇進し、同年8月、第3師団参謀長となる。1904年(明治37年)8月、陸軍少将に進み歩兵第12旅団長として日露戦争に出征。第1軍に属し遼陽会戦以降に各地を転戦した。
1907年(明治40年)7月、歩兵第4旅団長(弘前)となり、次いで、歩兵第24旅団長(久留米)に異動。1910年(明治43年)11月9日に55歳で没し、同日、陸軍中将に昇進した。
栄典・授章・授賞
[編集]- 位階
- 1885年(明治18年)9月16日 - 正八位[1]
- 1891年(明治24年)12月28日 - 従六位[2]
- 1899年(明治32年)5月20日 - 従五位[3]
- 1904年(明治37年)6月23日 - 正五位[4]
- 1909年(明治42年)7月10日 - 従四位[5]
- 1910年(明治43年)11月9日 - 正四位[6]
- 勲章等
- 1886年(明治19年)5月29日 - 勲五等双光旭日章[7]
- 1896年(明治29年)2月22日 - 勲三等旭日中綬章[8]
- 1905年(明治38年)5月30日 - 勲二等瑞宝章[9]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 功二級金鵄勲章・旭日重光章・明治三十七八年従軍記章[10]
脚注
[編集]- ^ 『官報』第711号「叙任」1885年11月12日。
- ^ 『官報』第2551号「叙任及辞令」1892年1月4日。
- ^ 『官報』第4764号「叙任及辞令」1899年5月22日。
- ^ 『官報』第6295号「叙任及辞令」1904年6月25日。
- ^ 『官報』第7813号「叙任及辞令」1909年7月12日。
- ^ 『官報』第8217号「叙任及辞令」1910年11月10日。
- ^ 『官報』第906号「賞勲叙任」1886年7月9日。
- ^ 『官報』第3794号「叙任及辞令」1896年2月25日。
- ^ 『官報』第6573号「叙任及辞令」1905年5月31日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。
参考文献
[編集]- 『高知県人名事典』高知市民図書館、1970年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。