島田七郎右衛門
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島田七郎右衛門 しまだ しちろうえもん | |
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生年月日 | 1883年1月17日 |
出生地 | 日本 富山県 |
没年月日 | 1962年7月25日(79歳没) |
出身校 | 富山県立富山中学校卒業 |
前職 | 三等郵便局長 |
所属政党 | 立憲政友会 |
選挙区 | 富山県第2選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1932年 - 1937年3月31日 |
富山県議会議員 | |
在任期間 | 1958年9月12日 - 1962年7月25日 |
島田 七郎右衛門(しまだ しちろうえもん、1883年1月17日[1] - 1962年7月25日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。
経歴
[編集]富山県出身[2]。1901年、富山県立富山中学校(現・富山県立富山高等学校)卒。日露戦争に従軍、陸軍歩兵中尉となる[2]。三等郵便局長、福岡町(現・高岡市)議、同町長、富山県議、西砺波郡農会長、富山県農会長、同山林会副会長、福岡信用組合理事長、北陸製絹、高岡新報、中越土木、笹川窯業、高岡電燈、岡吉商事、大岩電気、飛越電気、戸出物産各(株)重役を務める[2]。
1930年の第17回衆議院議員総選挙で富山2区(当時)から立憲政友会公認で立候補したが落選[3]。1932年の第18回衆議院議員総選挙で初当選[4]。1936年の第19回衆議院議員総選挙で再選[5]。1937年の第20回衆議院議員総選挙で落選した[6]。終戦後、公職追放となった[7]。
脚注
[編集]- ^ 衆議院『第七十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、22頁。
- ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』311頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』92頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』100頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』108頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』117頁。
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、一般該当者名簿400頁。公職追放の該当事項は「翼賛体制協議会構成員翼賛県協郡協同郡支部長福岡町支部長」。
参考文献
[編集]- 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。