島田昌勢
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島田 昌勢(しまだ しょうせい、1894年〈明治27年〉2月20日[1][2] - 1975年〈昭和50年〉1月2日[3])は、日本の拓務官僚。台湾総督府官僚。弁護士。
経歴
[編集]高知県安芸郡室戸村(現在の室戸市)出身[1]。第三高等学校を卒業[4]。1919年(大正8年)、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業し、同年10月[4]高等試験行政科に合格した[1]。新潟県工場監督官補・新潟県属、同警視、鳥取県理事官、内閣書記官・内閣官房記録課長、拓務省書記官・拓務局第一課長、同奨励課長、同南洋課長を歴任[1][5]。1936年(昭和11年)、台湾総督府文教局長に転じた[1]。
1940年(昭和15年)に退官した後は、南洋拓殖株式会社理事・管理部長に就任した[5]。戦後に公職追放となった[4]。のち、弁護士を開業した[2]。墓所は多磨霊園(23-1-14)
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。
- 呂霊石編『台湾人士鑑』興南新聞社、1943年。
- 『産経日本紳士年鑑 第9版 上』産経新聞年鑑局、1970年 。
- 全国人権擁護委員連合会編『人権通信 : 全国人権擁護委員連合会機関誌 第55号』全国人権擁護委員連合会、1975年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。