島谷敏郎
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島谷 敏郎(しまたに としろう、1873年(明治6年)10月2日 - 1940年(昭和15年)8月18日)は、日本の教育者。
経歴
[編集]広島県佐伯郡廿日市町(現在の廿日市市)出身。1897年(明治30年)、商船学校(のち東京高等商船学校)機関科を卒業。翌1898年(明治31年)、商船学校教諭となり、1903年(明治36年)から1905年(明治38年)まで機関学研究のためイギリスに留学した。帰国とともに教授となり、1923年(大正12年)に教頭に、1925年(大正15年)には校長に就任した。1936年(昭和11年)に退官し、東京高等商船学校名誉教授の称号を得た。
逓信省技師・地方海員審判所審判官・高等海員審判所審判官を兼ねたほか、帝国水難救済会評議員・造船協会評議員・日本海員掖済会理事などを務めた。
著作
[編集]- 『リンク・モーションス』(商船学校、1903年)
- 『指圧器及指圧図』(商船学校校友会、1906年)
- 『舶用蒸汽タービン機』(嵩山房、1907年)
- 『船舶機関の効率』(崇山房、1924年)
参考文献
[編集]- 東京堂編『昭和16年版 出版年鑑』東京堂、1941年。