崔昌植
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崔昌植 최창식 | |
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生誕 |
1921年 日本統治下朝鮮 平安南道平壌府 |
死没 |
1950年9月21日 韓国 釜山市 |
所属組織 |
大日本帝国陸軍 大韓民国陸軍 |
最終階級 |
大尉(日本陸軍) 大佐(韓国陸軍) |
崔 昌植(チェ・チャンシク、최창식)は大日本帝国陸軍及び大韓民国陸軍の軍人。創氏改名時の日本名は高山隆。平壌出身。
1942年、陸軍士官学校工兵科卒業(56期)。第2次世界大戦終戦時は工兵第104連隊附(大尉)[1]。
1948年8月、韓国軍入隊、任少尉(軍番12318番)。韓国軍工兵の創設に任じ、第1工兵団長を経て同年12月に陸軍本部工兵監。
1950年6月の漢江橋過早爆破の責任を問われ、同年9月21日に釜山で銃殺刑に処された。
朴正煕政権になって再審が進められ、1964年10月23日に再公判で正当性が認められ名誉回復。
出典
[編集]- ^ 松原慶治 編『終戦時帝国陸軍全現役将校職務名鑑』戦誌刊行会、1985年、796頁。
参考文献
[編集]- 佐々木春隆 (1976), 朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで, 原書房