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崔昌植

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
崔昌植
최창식
生誕 1921年
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮 平安南道平壌府
死没 1950年9月21日
韓国 釜山市
所属組織 大日本帝国陸軍
大韓民国陸軍
最終階級 大尉(日本陸軍)
大佐(韓国陸軍)
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崔 昌植(チェ・チャンシク、최창식)は大日本帝国陸軍及び大韓民国陸軍軍人創氏改名時の日本名高山隆平壌出身。

1942年陸軍士官学校工兵科卒業(56期)。第2次世界大戦終戦時は工兵第104連隊附(大尉)[1]

1948年8月、韓国軍入隊、任少尉(軍番12318番)。韓国軍工兵の創設に任じ、第1工兵団長を経て同年12月に陸軍本部工兵監。

1950年6月の漢江橋過早爆破の責任を問われ、同年9月21日釜山銃殺刑に処された。

朴正煕政権になって再審が進められ、1964年10月23日に再公判で正当性が認められ名誉回復。

出典

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  1. ^ 松原慶治 編『終戦時帝国陸軍全現役将校職務名鑑』戦誌刊行会、1985年、796頁。 

参考文献

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  • 佐々木春隆 (1976), 朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで, 原書房