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川上広樹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
川上広樹
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 天保9年(1838年
死没 明治28年(1895年12月2日
改名 才助
墓所 青山霊園1ロ6-15
主君 戸田忠行
氏族 川上氏(本姓は中村氏)
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川上 広樹(かわかみ ひろき)は、下野足利藩家老学者

生涯

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天保9年(1838年)に足利藩武家屋敷で生まれた。文久元年(1861年)より田崎草雲と協力して農民兵の育成に尽力した。文久2年(1862年)8月には藩政改革の建白書を藩主の戸田忠行に提出し、翌年6月から改革を開始した。主なものでは郷士教育に尽力している。幕末の動乱期では藩内を尊王派にまとめ上げた。

明治維新後、足利藩の大参事となる。明治18年には太政官修史館の御用掛を務めるため、表神保町にあった旧主君である戸田忠行邸に寄寓している。国学や和歌にも通じ、晩年は郁文館ほかで儒学を教えた。明治28年(1895年)12月2日に死去。享年58。

著書に「足利学校事蹟考」がある。

参考文献

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