川上胤三
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川上 胤三(かわかみ たねぞう、1887年(明治20年)3月20日[1] - 1944年(昭和19年)12月26日[2][3])は、昭和時代戦前の政治家、実業家。衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]大阪府に生まれる[2][4]。大阪実業学館を卒業する[4]。川上回漕店を経営し、日支運輸社長、国産研磨材料取締役、大阪商工会議所議員、同交通部長、同実業組合連合会理事などを歴任した[4]。
1942年(昭和17年)4月の第21回衆議院議員総選挙では大阪府第1区から翼賛政治体制協議会推薦で出馬し当選したが、在任中に死去した[2][注 1]。議員在任中は、戦時特別調停委員、逓信省委員などを務めた[2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『公職追放に関する覚書該当者名簿』235頁に「明倫会大阪西区支部連合長」を事由に戦後公職追放となった旨が記載されているが没後であるため誤りか。
出典
[編集]- ^ 衆議院事務局 1942, 4頁.
- ^ a b c d 衆議院、参議院 1962, 146頁.
- ^ 『官報』第5397号「帝国議会」昭和20年1月15日。
- ^ a b c 議会新聞社 1943, 118頁.
参考文献
[編集]- 『第八十回帝国議会 衆議院議員名簿 昭和十七年六月十五日現在』衆議院事務局〈衆議院公報附録〉、1942年 。
- 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年 。
- 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。