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川勝広成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
川勝広成
時代 江戸時代前期 - 江戸時代中期
生誕 不明
死没 正徳3年閏5月21日1713年7月13日
別名 龜之助、三十郎、藤右衛門、勘解由(通称)
戒名 良忠(法名)
墓所 東京都港区の青龍寺
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家綱綱吉家宣
氏族 川勝氏
父母 父:川勝広氏、母:織田信昌の養女
兄弟 広成憲隆田代元貞
女子(森川長要室)、女子(溝口常勝室)
正室:小嶋正朝の娘
養子に広良川勝益氏の二男)
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川勝 広成(かわかつ ひろなり)は、江戸時代前期から中期の旗本。広氏流川勝家の2代当主。

生涯

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川勝広氏の嫡男として江戸に生まれた。寛文4年(1664年)8月9日、初めて将軍徳川家綱に謁見した。延宝6年(1678年)3月29日、小姓組に列し[1]、延宝8年(1680年)3月26日に蔵米300俵を給わった。

貞享4年(1687年)12月9日、父広氏の死去により、その家督(丹波国氷上郡内700石)を継ぎ、先の蔵米は返上した。

正徳3年(1713年)閏5月21日没した。没年齢不詳。家督は養子の広良が継いだ。

脚注

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  1. ^ 小姓組は書院番とともに両番といわれ、実力のある者には栄達の途が開かれていた。ただし広成のさほど出世していない。

参考文献

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  • 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年
  • 『川勝家文書』東京大学出版会、日本史籍協会叢書57、1984年


先代
広氏
川勝継氏系広氏流
2代:1687年 - 1713年
次代
広良