川勝益氏
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時代 | 江戸時代前期 - 江戸時代中期 |
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生誕 | 明暦2年(1656年) |
死没 | 宝永6年10月23日(1709年11月24日) |
別名 | 左門、太郎兵衛(通称) |
戒名 | 一到(法名) |
墓所 | 東京都文京区小石川の光岳寺 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家綱→綱吉 |
氏族 | 川勝氏 |
父母 | 父:川勝将氏、母:松崎氏 |
兄弟 | 益氏 |
妻 | 正室:長尾氏の娘 |
子 | 氏令、広良、女子(武蔵義時室)、女子(大久保忠興室) |
川勝 益氏(かわかつ かずうじ)は、江戸時代前期から中期の旗本。継氏系重氏流川勝家の3代当主。
生涯
[編集]明暦2年(1656年)、川勝将氏の嫡男として江戸に生まれた。寛文10年(1670年)7月8日、父将氏の死去により15歳で家督(丹波・武蔵内700石)を継いだ。
延宝4年(1676年)4月26日、小姓組に列した。後に番を辞して、小普請となった。宝永2年(1705年)7月晦日、隠居した。家督は嫡男の氏令に譲った。
宝永6年(1709年)10月23日、54歳で没した。二男の広良は広氏流川勝家に養子に入ったが、独身のままでその生涯を終えている。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年
- 『川勝家文書』東京大学出版会、日本史籍協会叢書57、1984年
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