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川勝益氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
川勝益氏
時代 江戸時代前期 - 江戸時代中期
生誕 明暦2年(1656年
死没 宝永6年10月23日1709年11月24日
別名 左門、太郎兵衛(通称)
戒名 一到(法名)
墓所 東京都文京区小石川の光岳寺
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家綱綱吉
氏族 川勝氏
父母 父:川勝将氏、母:松崎氏
兄弟 益氏
正室:長尾氏の娘
氏令広良、女子(武蔵義時室)、女子(大久保忠興室)
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川勝 益氏(かわかつ かずうじ)は、江戸時代前期から中期の旗本。継氏系重氏流川勝家の3代当主。

生涯

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明暦2年(1656年)、川勝将氏の嫡男として江戸に生まれた。寛文10年(1670年)7月8日、父将氏の死去により15歳で家督(丹波武蔵内700石)を継いだ。

延宝4年(1676年)4月26日、小姓組に列した。後に番を辞して、小普請となった。宝永2年(1705年)7月晦日、隠居した。家督は嫡男の氏令に譲った。

宝永6年(1709年)10月23日、54歳で没した。二男の広良は広氏流川勝家に養子に入ったが、独身のままでその生涯を終えている。


参考文献

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  • 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年
  • 『川勝家文書』東京大学出版会、日本史籍協会叢書57、1984年


先代
将氏
川勝継氏系重氏流
3代:1670年 - 1705年
次代
氏令