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川勝氏方

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
川勝氏方
時代 江戸時代中期
生誕 正徳5年(1715年
死没 宝暦10年9月24日1760年11月1日
別名 左次郎、友次郎、市郎右衛門(通称)
戒名 偶虎(法名)
墓所 東京都文京区小石川の光岳寺
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川吉宗家重
氏族 川勝氏
父母 父:川勝氏令、母:松本氏
兄弟 氏方、女子(三好長憙室)
正室:小野忠久の娘
氏定、女子(三好長憙の養女)、
女子、女子
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川勝 氏方(かわかつ うじかた)は、江戸時代中期の旗本。継氏系重氏流川勝家の5代当主。

生涯

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正徳5年(1715年)、川勝氏令の嫡男として江戸に生まれた。享保16年(1731年)3月22日、初めて将軍徳川吉宗に謁見した。享保20年(1735年)9月19日、小姓組に列した。

宝暦5年(1755年)10月23日、父氏令の死去により、その家督(丹波武蔵内700石)を継いだ。5年足らずの当主であった。

宝暦10年(1760年)9月24日、46歳で没した。家督は嫡男の氏定が継いだ。

脚注

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参考文献

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  • 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年


先代
氏令
川勝継氏系重氏流
5代:1755年 - 1760年
次代
氏定