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川口容資

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
川口 容資
大分プロ育成野球専門学院BEZEL 監督
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県大分市
生年月日 (1987-07-09) 1987年7月9日(37歳)
身長
体重
188 cm
86 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2005年 高校生ドラフト5巡目
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

川口 容資(かわぐち ようすけ、1987年7月9日 - )は、大分県大分市出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

来歴・人物

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小学校3年時に地元の金池少年野球団で軟式野球を始める。大分市立上野ヶ丘中学校から主に投手を務める。

楊志館高等学校時代は、3年時に全国高校野球選手権大会・大分県大会で竹田高校に敗れ2回戦で敗退、甲子園出場はならなかった。

2005年同年のドラフト会議福岡ソフトバンクホークスから高校生ドラフト5巡目で指名され入団。全12球団で最後の指名選手となった。

入寮後の新人合同自主トレでは、連日ブルペンに入り40球ほどを投げ込みキャンプイン。ルーキーイヤーの2006年はシーズン途中のフォーム修正や、度重なる怪我などで登板の機会がないまま終わるが、フェニックスリーグにて初登板・初ホールド。2試合目では初勝利を挙げた。

2007年10月6日、高卒2年目の20歳としては異例の戦力外通告を受ける。その後、11月7日に行われた12球団合同トライアウトを受け、読売ジャイアンツ千葉ロッテマリーンズが興味を示した。その後、両球団の入団テストを受け、育成選手として読売ジャイアンツに入団した。

2008年シーズン終了後、再び戦力外通告を受けた。その後、再度合同トライアウトに参加するも獲得球団はなかった。

2009年3月30日(現地時間)に、アメリカ・独立リーグゴールデンベースボールリーグユマ・スコーピオンズと契約した[1]。しかし、ユマでは登板がないまま退団した。シーズン終了後、再び12球団合同トライアウトに参加した。

2011年社会人野球新日鐵大分ベースボールクラブに入団。のちに現役を引退した。

現役引退後はホークスジュニアアカデミーのコーチを務めた[2]のち、2021年4月開校予定の野球教育施設・大分プロ育成野球専門学院BEZELの投手コーチに就任[3]。同校ではソフトバンク時代の同僚だった大田原隆太もコーチを務める[4]2022年4月からは監督に就任した[5]

選手としての特徴

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188cmの長身と長い腕を生かして腕をしならせ投げ下ろすMAX144km/hのストレートが武器[要出典]

詳細情報

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年度別投手成績

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  • 一軍公式戦出場なし

背番号

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  • 65 (2006年 - 2007年)
  • 111 (2008年)

脚注

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  1. ^ Scorps sign Japanese pitcher
  2. ^ 川口 容資”. NPO法人ホークスジュニアアカデミー HJA. 2021年2月17日閲覧。
  3. ^ “別府でプロ野球選手目指せ 来年4月、16歳以上対象に専門学院”. 大分合同新聞プレミアムオンライン Gate. (2020年10月20日). https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2020/10/20/JD0059665602 2021年2月17日閲覧。 
  4. ^ “大分にプロ育成野球専門学院が来春開校 NPB選手養成に「オンラインドラフト」も”. スポーツ報知. (2020年10月19日). https://hochi.news/articles/20201019-OHT1T50113.html 2021年2月17日閲覧。 
  5. ^ 2022年の新体制の報告”. BEZEL sports academyプロ育成野球専門 Instagram (2022年4月12日). 2022年5月31日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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