コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

川島哲郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

川島 哲郎(かわしま てつろう、1918年10月16日[1] - 2002年10月16日)は、日本の地理学者経済地理学)。大阪市立大学名誉教授阪南大学学長などを歴任[2]

経歴

[編集]

滋賀県出身[3]。旧制・大阪商科大学に学び、福井孝治のゼミで地代論をテーマに卒業論文を書いた[4]

1950年、大阪商科大学経済学部助手、経済地理学担当となり、以降1982年まで、大阪市立大学経済学部で経済地理学を担当した[4]

1964年から1965年にかけて、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで国外研究に従事した[5]

1979年から1988年までの3期9年、経済地理学会会長を務めた[4]

1988年から1994年まで、阪南大学学長を務めた[6]

1992年、勲三等旭日中綬章を受章。2002年10月16日、心不全のため死去[1]

研究

[編集]

川島は、経済地理学の対象を経済現象すべてと広く捉えた上で、特に経済学方法論と、日本(とくに大阪)とイギリスを対象とした、実証研究や、政策論に注力した[7][8]

経済学方法論では、初期には、戦前期日本で経済地理学に影響を与えていたカール・ウィットフォーゲルの所説の批判的検討を行い[9]環境決定論地人相互作用論経済景観論などを徹底的に批判していった[10]。また、経済地理学の対象を限定的に捉える立場を批判して、「あらゆる経済現象の地域(空間)的展開、その展開がつくり出す、あるいは内包する地域(空間)的秩序あるいは構造を研究する科学」として経済地理学を定位した[11]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 『現代物故者事典2000~2002』(日外アソシエーツ、2003年)p.192
  2. ^ “川島哲郎さん死去”. 朝日新聞・朝刊: p. 35. (2002年10月18日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  3. ^ 川島哲郎氏死去/元阪南大学長”. 四国新聞社 (2002年10月17日). 2015年5月25日閲覧。
  4. ^ a b c 辻、1999、p.164
  5. ^ 辻、1999、p.170
  6. ^ 阪南大学 半世紀のあゆみ”. 阪南大学. 2015年5月25日閲覧。
  7. ^ 辻、1999、p.165
  8. ^ 辻悟一「紙碑 川島哲郎先生のご逝去を悼む」『経済地理学年報』第48巻第4号、経済地理学会、2002年12月31日、370-371頁。「先生のご研究は大別して、三つの領域をカバーするものでした。すなわち、経済地理学の性格・方法などについてのもの、地域政策・都市政策など政策に関係するもの、国民経済や地域経済などの実態分析に関するもの であります。」  NAID 110002706785
  9. ^ 辻、1999、p.167
  10. ^ 石原照敏「経済地域の形成と構造:わが国における酪農地域と牛乳経済圏を事例として」『研究年報』第8号、香川大学経済学部、184-208頁。  NAID 120004115651
  11. ^ 川島哲郎「経済地理学の課題と方法」『経済地理学』、8頁。 

参考文献

[編集]
  • 辻悟一「川島哲郎の経済地理学:「経済の地理学」追究の軌跡」『経済学雑誌』第99巻第5-6号、1999年、164-178頁。  NAID 120002697543
学職
先代
柏尾昌哉
阪南大学学長
第7代:1988 - 1994
次代
吉良実