川島堅
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都練馬区富士見台 |
生年月日 | 1969年7月20日(55歳) |
身長 体重 |
180 cm 81 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1987年 ドラフト1位 |
初出場 |
NPB / 1988年9月16日 CPBL / 1995年3月19日 |
最終出場 |
NPB / 1994年4月27日 CPBL / 1995年8月5日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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川島 堅(かわしま けん、1969年7月20日 - )は、東京都練馬区[1]出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
来歴・人物
[編集]東亜学園高時代は、2年夏の全国高等学校野球選手権西東京大会から背番号11でベンチ入りし主戦級で活躍。初めてエースナンバーを背負った1986年第68回全国高等学校野球選手権大会では初戦(2回戦)で米子東高校に敗れた。
1987年第69回全国高等学校野球選手権大会では、理想的なフォームで34イニング連続無四球という優れた制球力に加え、伸びのあるストレートとキレのあるカーブを武器に準決勝に進出。常総学院の島田直也と投げ合うが、延長10回1-2xでサヨナラ負けを喫する。右オーバースローの本格派で投球フォームは実にきれいで高校時代から完成された投手といわれていた[2]。当時高校野球で最強軍団と言われていたPL学園の主力選手たちも川島の速球は一目置く存在であった[3]。立浪和義はプロ入りした同級生で印象に残った選手として川島の名前を挙げている[4][5] 。
1987年のドラフト会議で阪神タイガース・近鉄バファローズ・広島東洋カープの3球団からの1位指名を受け、抽選の結果広島が交渉権を獲得し入団[1]。
高卒新人ながら即戦力として期待され、ルーキーイヤーから一軍登板を果たしたが、その後は伸び悩み、首脳陣に命じられたピッチングフォームの変更[6]による肘の故障にも見舞われ、大成することはなかった[7]。
1995年は、当時広島カープと業務提携していた台湾プロ野球・中華職業棒球大聯盟の時報イーグルス(現在は解散)に移籍し同年限りで現役引退[1]。
引退後は、柔道整復師の資格を取得。
2001年から東京都武蔵野市に武蔵境中央整骨院を開業[1]、2007年からは東京都小平市の一橋整骨院で院長を務めている[9][10]。
キレの良いストレートとスライダー、カーブ、フォークなどの変化球を投げ分けていた。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1988 | 広島 | 5 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 87 | 19.2 | 20 | 1 | 11 | 0 | 0 | 14 | 0 | 0 | 8 | 8 | 3.66 | 1.58 |
1989 | 10 | 5 | 1 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | -- | .333 | 141 | 33.2 | 29 | 3 | 10 | 2 | 0 | 27 | 1 | 0 | 15 | 15 | 4.01 | 1.16 | |
1991 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 22 | 4.2 | 8 | 2 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 7 | 7 | 13.50 | 1.93 | |
1994 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 9 | 1.2 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 2 | 10.80 | 2.40 | |
1995 | 時報 | 11 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 129 | 26.0 | 41 | 3 | 13 | 0 | 0 | 13 | 2 | 0 | 24 | 18 | 6.23 | 2.08 |
NPB:4年 | 18 | 8 | 2 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | -- | .200 | 259 | 59.2 | 60 | 6 | 23 | 2 | 0 | 44 | 1 | 0 | 32 | 32 | 4.83 | 1.39 | |
CPBL:1年 | 11 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 129 | 26.0 | 41 | 3 | 13 | 0 | 0 | 13 | 2 | 0 | 24 | 18 | 6.23 | 2.08 |
記録
[編集]- NPB
- 初登板:1988年9月16日、対阪神タイガース22回戦(阪神甲子園球場)、5回裏に3番手として救援登板、1回無失点
- 初奪三振:同上、5回裏に山口重幸から
- 初先発:1988年9月25日、対読売ジャイアンツ26回戦(広島市民球場)、6回3失点
- 初完投:1988年10月18日、対ヤクルトスワローズ25回戦(明治神宮野球場)、8回2/3を4失点で敗戦投手
- 初勝利・初完投勝利:1989年4月29日、対阪神タイガース4回戦(阪神甲子園球場)、9回1失点
背番号
[編集]- 21 (1988年 - 1993年)
- 41 (1994年)
- 34 (1995年)
関連情報
[編集]著書
[編集]- 『野球肩・野球ひじを治す本―“甲子園史上最も美しいフォームの投手”が指導』(マキノ出版)、2004年4月、ISBN 4837670210
脚注
[編集]- ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、171ページ
- ^ 甲子園史上最も美しいフォーム元広島川島堅氏1
- ^ 【最後の夏の甲子園】初戦敗退の危機...流れを変えたのはボークだった!?
- ^ 【PL学園】片岡さんの打撃不振を救った立浪さんのある行動とは!?
- ^ 【PL学園最強世代】同期がプロ入り!当時の立浪和義について語る!
- ^ コンタクトで達川さんに叱られて 元広島川島堅氏2
- ^ 第1部プロ野球のドラフト1位たちが告白「これで終わった」自分の心が折れた瞬間
- ^ もはや元プロ選手ではなく医療者 元広島川島堅氏3
- ^ カープOB川島堅さん、右肘痛で通算1勝に終わった悲運のドラ1 現在は東京で整骨院を経営 2020年9月6日放送の『モヤモヤさまぁ〜ず』で本人と整骨院が紹介された。
- ^ 「どんな患者さんも怖くない」整骨院を経営する元広島ドラフト1位・川島堅氏/パンチ佐藤の漢の背中! | 野球コラム - 週刊ベースボールONLINE
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 川島堅 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、CPBL