川瀬村
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かわせむら 川瀬村 | |
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廃止日 | 1959年3月31日 |
廃止理由 |
合併 久万町・川瀬村・父二峰村・美川村(一部)→久万町 |
現在の自治体 | 久万高原町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 愛媛県 |
郡 | 上浮穴郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 重信町・川内町・面河村・美川村・久万町(廃止時) |
川瀬村役場 | |
所在地 | 愛媛県上浮穴郡川瀬村大字下畑野川 |
座標 | 北緯33度42分19秒 東経132度57分36秒 / 北緯33.70519度 東経132.95989度座標: 北緯33度42分19秒 東経132度57分36秒 / 北緯33.70519度 東経132.95989度 |
ウィキプロジェクト |
川瀬村(かわせむら)は、1959年(昭和34年)まで愛媛県の中部、上浮穴郡にあった村であり、現在の上浮穴郡久万高原町の北東部にあたる。
地理
[編集]- 現在の久万高原町の北部。四国山地の中、皿ヶ嶺連峰の南側。面河川の支流の一つである直瀬川及び有枝川の上流域。両河川ともに皿ヶ嶺連峰に源流を発し、当村域を南流した後、他村へと流れ込む。[1]
- 村域の大半は山林であるが、川に沿ってわずかな平地が開けており、直瀬には小規模な盆地に水田が開かれ、上浮穴郡内でも一二の米の産地であった。
- 上浮穴地域の地理的中心である久万町に接し、直瀬は東に山一つ、畑野川はさらに山一つ隔てている。
山
- 皿ヶ嶺
社会
[編集]地域・集落
[編集]- 直瀬川の上流域(直瀬地区)及び有枝川の上流域(下畑野川及び上畑野川地区)に大別される。
- 旧村3つがそのまま大字となった。
- 直瀬(なおせ)、下畑野川(しもはたのかわ)、上畑野川(かみはたのかわ)
- これらは昭和の合併により久万町となった後も大字として存続。さらに平成の合併により久万高原町になってからは町内全域について地名表記に「大字」は付けなくなった。
村名の由来
[編集]- 直瀬と畑野川から一字ずつとってつけられた合成地名。
行政
[編集]- 役場は大字下畑野川においた。
人口
[編集]- 1904年(明治37年) 539戸2,764人
- 1921年(大正10年) 536戸3,272人
- 1955年(昭和30年) 4,506人[2]
教育
[編集]- 〈ともに久万高原町立となり現存〉
- 中学校 久万町立畑野川中学校と久万町立直瀬中学校とがあったが1999年(平成11年)に久万町立久万中学校に統合され、当村域には中学校はなくなった。
- 高等学校 上浮穴高等学校定時制畑野川分室が畑野川小学校に併設されていた。[5]
文化
[編集]- 伝統文化 川瀬歌舞伎 愛媛県指定文化財
歴史
[編集]藩政期
- 松山藩領
明治以降
- 1889年(明治22年) - 成立。
- 1959年(昭和34年) - (旧)久万町、父二峰村、美川村の一部との合併により(新)久万町となり自治体としての歴史を閉じた。
川瀬村の系譜 (町村制実施以前の村) (明治期) 直瀬 ━━┓ ┃ 上畑野川━━╋━━━━━ 川瀬村 ━━┓(昭和34年3月31日合併) ┃ ┃ 下畑野川━━┛ ┃━━ 久万町(新) ┃ 久万町(旧) ━┫ ┃ 父二峰村 ━━━┫ ┃ 美川村 ━━━━┛ の一部(大字七鳥五番耕地)
産業
[編集]交通
[編集]- 鉄道等はない。
- 下畑野川字河合は岩屋寺への遍路道があり、遍路宿も存在した。
参考文献
[編集]- 『角川日本地名大辞典38愛媛県』
注釈
[編集]- ^ 直瀬川は面河川へ、有枝川は久万川(面河川の支流の一つ)に合流、合流点はいずれも当村域ではない。
- ^ いずれも「角川日本地名大辞典38愛媛県」の川瀬村の項目より引用、基準は不明
- ^ 愛媛スクールネットより久万高原町立畑野川学校の沿革のページあり https://hatanokawa-e.esnet.ed.jp/history https://naose-e.esnet.ed.jp/
- ^ 愛媛スクールネットより久万高原町立直瀬小学校 https://naose-e.esnet.ed.jp/ なお、直瀬小学校には沿革のページがない(2024年4月現在)
- ^ 畑野川小学校の沿革より