望月川西座
望月川西座 Mochizuki Kawanishiza | |
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情報 | |
正式名称 | 望月川西座 |
開館 | 1907年 |
閉館 | 1999年9月2日 |
最終公演 |
『鉄道員』(降旗康男監督) 『秋日和』(小津安二郎監督) |
客席数 | 216席[1] |
用途 | 演劇・映画 |
所在地 |
〒384-2202 長野県北佐久郡望月町大字望月95-2 (現在の同県佐久市望月) |
最寄バス停 | 千曲バス「望月バスターミナル」下車徒歩4分 |
最寄IC | 中部横断自動車道佐久南IC |
望月川西座(もちづきかわにしざ)は、長野県北佐久郡望月町(現・佐久市)にあった劇場・映画館。単に川西座と表記することもある。1907年に開館して1999年に閉館した。長野県の郡部で営業していた最後の映画館だった[2]。閉館時の座席数は216席[1]。
歴史
[編集]江戸時代に中山道の望月宿として栄えた北佐久郡望月町では、大正期に養蚕業や薬用人参の栽培が盛んとなり、現金収入を得られるこれらの産業で望月町は活気に満ちていた[3]。川西座は1907年(明治40年)3月に上棟式を行い[1]、芝居小屋として開館した[2]。当初の川西座は畳敷きであり、農閑期に役者や浪曲師が巡業すると近隣地域から観客が集まった[2]。川西座付近には芸者置屋・呉服屋・料理屋・小間物屋・金物店などが集まり、定期的に夜店が開催されていた[3]。1928年(昭和3年)5月には中山晋平が作曲した『望月小唄』が川西座で初披露されている[4]。
映画最盛期の北佐久郡の映画館 | |||
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1953年 | 1960年 | ||
館名 | 自治体 | 館名 | 自治体 |
小諸キネマ | 小諸町 | 小諸キネマ | 小諸市 |
小諸中央映画劇場 | 小諸町 | 中央映画劇場 | 小諸市 |
軽井沢会館 | 軽井沢町 | 軽井沢映画劇場 | 軽井沢町 |
沓掛文化会館 | 軽井沢町 | 沓掛文化会館 | 軽井沢町 |
御代田劇場 | 御代田村 | 御代田劇場 | 御代田町 |
川西座 | 本牧村 | 川西座 | 望月町 |
岩村田劇場 | 岩村田町 | 岩村田劇場 | 浅間町 |
岩村田キネマ | 岩村田町 | ロマンス座 | 浅間町 |
蓼科劇場 | 三都和村 |
1953年(昭和28年)の長野県には80館の映画館があり、北佐久郡には川西座を含めて9館があった[5]。1958年(昭和33年)には建物を増築しており、この記念に配給会社から石原裕次郎の写真が贈られた[1]。全国の映画館数がピークを迎えたのは1960年(昭和35年)である。この年の長野県には121館の映画館があり、北佐久郡には川西座を含めて6館があった[6][7]。川西座は木造2階建であり、座席数は500席、松竹・東宝・日活の作品を上映した[6]。
やがて経営面が理由で成人映画館に転換。1998年(平成10年)9月にはカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した『うなぎ』(今村昌平監督)と『プライド・運命の瞬間』(伊藤俊也監督)を2本立てで上映したが、客足が伸び悩んだことから上映予定を早めに切り上げ、成人映画の上映に戻った[1]。
施設が老朽化していた上に1999年(平成11年)7月の大雨で雨漏りが深刻な状況となり、通常の興行を9月1日いっぱいで取りやめた[2]。9月23日から10月3日には常連客などが主催するお別れ興行が催され、降旗康男監督・高倉健主演の『鉄道員』と、小津安二郎監督の『秋日和』が上映された[2]。最終日の10月3日には上映終了後に川西座について語る会が催されている[2]。望月川西座は長野県の郡部で営業していた最後の映画館だった[2]。解体後、跡地は望月商工会の専用駐車場となっており、『望月小唄発祥の地』と書かれた看板も設置されている。
特色
[編集]開館当初の客席はすべて畳敷きであり、両側には花道が付けられていた[1]。秋から冬を経て春までは、客席の脇にある石油ストーブが焚かれた[1]。2階には映画全盛期そのままの畳敷き席があるが、晩年には使用していなかった[1]。年中無休であり、定休日は年末の4日間だけだった[1]。閉館時の座席数は216席[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 「三代目夫婦が守る映画の灯 望月川西座」朝日新聞 1998年10月25日
- ^ a b c d e f g 「喜びも悲しみも90余年 望月町の映画館、望月川西座が閉館」朝日新聞、1999年9月15日
- ^ a b 廉田泉 大正~昭和初期の養蚕と生糸業 (PDF) 望月まちけん新聞
- ^ “望月小唄”. NPO法人望月まちづくり研究会. 2017年2月10日閲覧。
- ^ 『全国映画館総覧 1953年版』時事通信社、1953年。同文献を出典としている1953年の映画館(北陸・甲信越地方)「消えた映画館の記憶」を参照した。
- ^ a b 岩本憲児・牧野守監修『映画年鑑 戦後編 別冊 全国映画館録 1960』日本図書センター, 1999年, p.73
- ^ 1953年の北佐久郡には9館、1960年の北佐久郡には6館の映画館があり、7年間で3館が減少しているが、この間に市制施行した小諸市を考慮すると減少したのは1館である。
外部リンク
[編集]- 廉田泉 大正~昭和初期の養蚕と生糸業 (PDF) 望月まちけん新聞