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巨勢嶋人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

巨勢 嶋人(こせ の しまひと、生没年不詳)は、奈良時代貴族朝臣官位従五位下左衛士佐

経歴

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延暦4年(785年従五位下叙爵し、のち左衛士佐に任ぜられる。延暦8年(789年高野新笠葬儀[1]、および延暦9年(790年桓武天皇が居所を内裏から近衛府に移した際[2]、いずれも作路司を務めた。またこの間の延暦9年(790年)山背守を兼ねている。

延暦12年(793年)帯刀舎人・佐伯成人の殺害を謀るが発覚して逃亡した内舎人・山辺春日と春宮坊帯刀舎人・紀嶋人が伊予国で捕らえられると、巨勢嶋人は伊予国へ派遣されて二人を殴殺した。なお、二人は皇太子安殿親王の密命を受けて謀議を行っていたとのがあったという[3]

官歴

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続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ 『続日本紀』延暦8年12月29日条
  2. ^ 『続日本紀』延暦9年閏3月11日条
  3. ^ 『続日本紀』延暦12年8月21日条

参考文献

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