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巨瀬村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こせそん
巨瀬村
廃止日 1954年5月1日
廃止理由 新設合併
上房郡高梁町津川村川面村巨瀬村川上郡玉川村宇治村松原村高倉村落合村 → 高梁市(初代)
現在の自治体 高梁市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
上房郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,912
国勢調査、1950年)
隣接自治体 北房町有漢村上竹荘村、津川村、川面村、中井村
巨瀬村役場
所在地 岡山県上房郡巨瀬村字塩坪
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巨瀬村(こせそん[1])は、岡山県上房郡にあった。現在の高梁市の一部にあたる。

地理

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高梁川支流・有漢川の中流域に位置していた[2]

歴史

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  • 1875年(明治8年)上房郡柳分村、六名村、宮瀬村、片岡村が合併して巨瀬村が成立[2]。同年、字塩坪に巨瀬郵便局開設[2]
  • 1880年(明治13年)隣接の八川村、川面村、有漢村との境界整理を行い、高下迫を八川村に、桐山・井才を川面村に編入[2]
  • 1889年(明治22年)6月1日、町村制の施行により、上房郡巨瀬村が単独で村制施行し、巨瀬村が発足[1][2]。大字は編成せず[2]
  • 1954年(昭和29年)5月1日、上房郡高梁町・津川村・川面村、川上郡玉川村・宇治村・松原村・高倉村・落合村と合併し、市制施行し高梁市を新設して廃止された[1][2]。合併後は、高梁市巨瀬町となる[2]

地名の由来

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次の諸説あり[2]

  1. 高梁川の大きな瀬による。
  2. 交通上の要地にもかかわらず地形上、大道を設けられず小路ばかりのため「こせ」と呼ばれた。

産業

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  • 農業、材木、薪炭[2]

交通

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道路

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  • 高梁落合線[2]
  • 西方巨瀬線[2]
  • 巨瀬竹荘線[2]

教育

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  • 1873年(明治6年)三渓小学校開校[2]。1874年(明治7年)横田に好間校が設立され、1879年(明治12年)三渓小学校に統合[2]。1888年(明治21年)巨瀬尋常小学校となる[2]
  • 1947年(昭和22年)巨瀬中学校開校[2]

脚注

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  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』486-487頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『角川日本地名大辞典 33 岡山県』366頁。

参考文献

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関連項目

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