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市川秀雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

市川 秀雄(いちかわ ひでお、1901年〈明治34年〉7月27日[1] - 1964年〈昭和39年〉10月31日[2])は、日本の法学者刑法学者労働法学者。1961年、博士(法学)中央大学)題は「刑法における市民法思想と社会法思想」[3]。専門はドイツ刑法。東京都生まれ。

履歴

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明治天皇の侍医・市川賢亮の三男[1]。1919年独逸学協会中学校(現・獨協中学校・高等学校)卒業。1925年第一高等学校卒業。1930年東京帝国大学法学部卒業。1932年東京帝国大学大学院(旧制)法学研究科修了。少年保護司。1942年中央大学法学部専任講師。1946年中央大学法学部教授。1964年10月30日中央大学在職中に逝去、63歳没。1964年中央大学名誉教授。

この他に、東京都地方労働委員会委員、労働省東京地方労働基準審議会委員、1949年日本刑法学会理事(~1964年)。1950年労働法学会創立準備委員。1952年獨協中学校・高等学校校長、獨協中学校・高等学校名誉校長。

主著

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  • 『刑法學(法律學全書 8)』(評論社 1949年)
  • 『刑法總論』(春秋社 1955年)
  • 『法律的ものの考え方 : 入門法学十三講』(評論社 1962年)
  • 『法の動き : 海外学界消息』(評論社 1965年)

門下生

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脚注

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  1. ^ a b 『人事興信録 第22版 上』(人事興信所、1964年)い203頁
  2. ^ 『「現代物故者事典」総索引(昭和元年〜平成23年) II 学術・文芸・芸術篇』(日外アソシエーツ、2012年)p.98
  3. ^ 博士論文書誌データベースによる

外部リンク

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