市村家橘
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市村 家橘(いちむら かきつ)は歌舞伎役者の名跡の一つ。屋号は橘屋。定紋は根割り橘、替紋は渦巻。
解説
[編集]「家橘」は九代目市村羽左衛門の俳名に由来する。歴代の家橘の内、初代から三代目までは、それぞれ「家橘」を俳名としては使ったが、実際にこれを名跡として襲名することはなかった。[1]
家橘の名跡を初めて使用したのが十三代目市村羽左衛門であり、本人が役者志望であった事もあり座元として羽左衛門を使用する一方で役者名として四代目市村家橘を用いた。実弟の十四代目市村羽左衛門も同じく座元を勤めている間、役者名として五代目市村家橘を使用している。[2]
その五代目は、明治五年に市村座の経営権を手離さざるを得なくなったのを機に、市村座ゆかりの「市村」の姓を「坂東」に改めているがこちらは五代目夫妻が五代目坂東彦三郎の未亡人の養子に入った為の改名であり、養子である録太郎は坂東家の養子となっていない為五代目亡き後に再び市村家橘を六代目として名乗っている。
また当代の市村家橘は十七代目を称しているが、こちらは後述の通り七代目に当たる十六代目市村羽左衛門が「新刻役目綱目」にある九代目羽左衛門を誤って九代目市村家橘にしている記述及び十五代目の後継者である事を意識してか昭和3年5月の演芸画報での寄稿を機に代数を飛ばして十五代目を名乗るようになった為である。[3]
市村家橘代々
[編集]- 二代目 市村家橘
- 初代の子、1748–99。
- 市村七十郎 → 二代目市村亀蔵 → 十代目市村羽左衛門 (俳名:二代目市村家橘)
- 三代目 市村家橘
- 二代目の養子である十一代目市村羽左衛門の次男、1812–51。
- 市村豊松 → 市村亀之助 → 十二代目市村羽左衛門→ 五代目市村竹之丞 (俳名:三代目市村家橘)
- 六代目 市村家橘
- 五代目の養子、1874–1945。実父は明治政府の外交顧問をつとめたチャールズ・ルジャンドル、母は旧福井藩藩主松平慶永の庶子池田絲。
- 坂東竹松 → 二代目坂東家橘 → 六代目市村家橘 → 十五代目市村羽左衛門
- 七代目 市村家橘(自称十五代目)
- 六代目の養子、1905–52。
- 四代目市村竹松 → 七代目 市村家橘(昭和3年から十五代目市村家橘を自称) → 十六代目市村羽左衛門
- 十六代目 市村家橘
- 十五代目の養子、1918–2010。実父は十二代目片岡仁左衛門。
- 片岡義直 → 二代目市村又三郎 → 十六代目市村家橘 → 二代目市村吉五郎
- 十七代目 市村家橘
- 十六代目の長男、1949– 。当代。
- 市村寿 → 十七代目市村家橘