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市橋長璉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
市橋 長璉
市橋直璉(清源寺蔵)
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 享保16年(1733年
死没 天明5年10月6日1785年11月7日
改名 稲葉豊三郎→稲葉安之丞→稲葉通奉→稲葉通璉→市橋長璉
別名 民部(通称)、長輝(別名)
戒名 嶺雲院殿徹翁浄閑大居士
墓所 清源寺滋賀県蒲生郡日野町
官位 従五位下伊豆
近江仁正寺藩第6代藩主
氏族 稲葉氏市橋氏
父母 父:稲葉董通、母:中原氏
養父:市橋直挙
兄弟 稲葉泰通市橋長璉稲葉通房一柳末栄
正室:松浦誠信
側室:伊東氏、中西氏
長昭畠山国儔室、松浦信好室、稲田敏植室、高木永貞室、高木貞直
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市橋 長璉(いちはし ながてる)は、近江仁正寺藩の第6代藩主。仁正寺藩市橋家7代。

豊後臼杵藩主・稲葉董通の次男。母は中原氏。正室は平戸藩主・松浦誠信の娘。側室に伊東氏、中西氏。子は市橋長昭(長男)、娘(畠山国儔正室)、娘(松浦信好室)、娘(稲田敏植室)、娘(高木永貞室)、娘(高木貞直室)。官位は従五位下伊豆。幼名は豊三郎、安之丞。通称は民部。初名は通奉、通璉。長輝とも言う。

宝暦5年(1755年)2月11日、先代藩主の直挙の養嗣子となる。直挙の養子・直好市橋直方の三男)、直記(市橋直方の六男)の早世のためであった。同年3月15日、将軍・徳川家重にお目見えする。宝暦8年(1758年)11月24日、直挙の隠居により跡を継いだ。同年12月18日、従五位下伊豆守に叙任する。

天明5年(1785年)10月6日、仁正寺にて53歳で死去し、跡を長男の長昭が継いだ。法号は嶺雲院殿徹翁浄閑大居士。墓所は滋賀県蒲生郡日野町の清源寺。

系譜

[編集]

父母

正室

側室

  • 伊東氏
  • 中西氏

子女