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市橋長発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
市橋 長発
市橋長発(清源寺蔵)
時代 江戸時代後期
生誕 文化2年4月5日1805年5月3日
死没 文政5年1月30日1822年2月21日
戒名 大乗院殿海光宗印大居士
墓所 清源寺滋賀県蒲生郡日野町
官位 従五位下伊豆守
近江仁正寺藩第8代藩主
氏族 市橋氏
父母 父:市橋長昭、母:酒井忠順
兄弟 長発長基藤波光忠
長富
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市橋 長発(いちはし ながはる)は、近江仁正寺藩の第8代藩主。仁正寺藩市橋家9代。

第7代藩主・市橋長昭の次男。母は酒井忠順の娘。官位は従五位下伊豆守

江戸藩邸にて生まれる。文化11年(1814年)11月19日、父の死去により跡を継ぐ。文政3年(1820年)、将軍・徳川家斉にお目見えする。同年12月16日、従五位下伊豆守に叙任する。しかし生来から病弱だったため、文政5年(1822年)正月晦日に18歳で死去した。跡を出羽国庄内藩出身で縁戚に当たる長富が養子となって継いだ。法号は大乗院殿海光宗印大居士。墓所は滋賀県蒲生郡日野町の清源寺。

系譜

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父母

養子