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市瀬泰一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
市瀬泰一
いちのせ たいいち
生年月日 1876年8月14日
出生地 日本の旗 日本 長野県下伊那郡飯田町
(現長野県飯田市)
没年月日 1950年
前職 会社経営

在任期間 1939年11月10日 - 1941年3月5日


飯田市会議員

飯田町会議員

下伊那郡会議員
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市瀬 泰一(いちのせ たいいち、1876年明治9年)8月14日[1] - 1950年昭和25年)[2])は、日本の実業家、政治家。長野県飯田市長。初名は市瀬 俊太郎[1][2]

来歴

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長野県下伊那郡飯田町(現飯田市)生まれ[2]明治20年代から家業の飯田水引(元結)の製造販売業を承継[2]。全国各地への出張販売に当たった後[2]、1913年(大正2年)飯田に元結の原紙会社を設立した[2]。1930年(昭和5年)家督を相続し世襲名の泰一を名乗った[1][2]

下伊那郡会議員、飯田町会議員を経て、1937年(昭和12年)飯田市会議員となり、初代議長を務めた[2]。1939年(昭和14年)11月、飯田市長に推挙された[1][2]。在任中は日中戦争下で、飯田銀座商店街商業組合での栄養食の共同炊事の実現、食糧増産のための野菜の種子無償配布、飯田百七銀行・信産銀行・伊那銀行の統合による飯田銀行の設立などを実現させた[1][2]。1941年(昭和16年)3月に市長を退任した[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 『日本の歴代市長 第2巻』265頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『長野県歴史人物大事典』64頁。

参考文献

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  • 『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
  • 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。