市瀬泰一
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市瀬泰一 いちのせ たいいち | |
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生年月日 | 1876年8月14日 |
出生地 |
日本 長野県下伊那郡飯田町 (現長野県飯田市) |
没年月日 | 1950年 |
前職 | 会社経営 |
在任期間 | 1939年11月10日 - 1941年3月5日 |
飯田市会議長 | |
飯田市会議員 | |
飯田町会議員 | |
下伊那郡会議員 |
市瀬 泰一(いちのせ たいいち、1876年(明治9年)8月14日[1] - 1950年(昭和25年)[2])は、日本の実業家、政治家。長野県飯田市長。初名は市瀬 俊太郎[1][2]。
来歴
[編集]長野県下伊那郡飯田町(現飯田市)生まれ[2]。明治20年代から家業の飯田水引(元結)の製造販売業を承継[2]。全国各地への出張販売に当たった後[2]、1913年(大正2年)飯田に元結の原紙会社を設立した[2]。1930年(昭和5年)家督を相続し世襲名の泰一を名乗った[1][2]。
下伊那郡会議員、飯田町会議員を経て、1937年(昭和12年)飯田市会議員となり、初代議長を務めた[2]。1939年(昭和14年)11月、飯田市長に推挙された[1][2]。在任中は日中戦争下で、飯田銀座商店街商業組合での栄養食の共同炊事の実現、食糧増産のための野菜の種子無償配布、飯田百七銀行・信産銀行・伊那銀行の統合による飯田銀行の設立などを実現させた[1][2]。1941年(昭和16年)3月に市長を退任した[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
- 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。