師戸城
表示
師戸城 (千葉県) | |
---|---|
師戸城 | |
城郭構造 | 平山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 不明 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 師戸四郎 |
遺構 | 土塁、堀 |
指定文化財 | なし |
位置 | 北緯35度45分07.2秒 東経140度11分00.2秒 / 北緯35.752000度 東経140.183389度座標: 北緯35度45分07.2秒 東経140度11分00.2秒 / 北緯35.752000度 東経140.183389度 |
地図 |
師戸城(もろとじょう)は、千葉県印西市師戸にあった日本の城。
歴史
[編集]築城年代、城主などについての資料は少ないが、「臼井家由来抜書」によると、鎌倉時代末期には臼井城の支城であり、臼井四天王の1人として師戸四郎が居城していたと伝えられる[1]。このことから、師戸と臼井が密接な関係にあったと推定される。戦国時代になると、原氏の支配するところとなった。
天正18年(1590年)、豊臣勢によってこの城は滅亡し、戦死者を葬ったという野の墓が近くに残されている。
構造
[編集]城郭の遺構は、昭和40年代に入って一部破壊されたが、大部分が残っている。雄大な空堀と土塁によって、4つの郭を確認できる。南側には腰郭があって、水神が祀られている[2]。