コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

常岡浩介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
つねおか こうすけ[1]

常岡 浩介[1]
生誕 (1969-07-01) 1969年7月1日(55歳)[1]
日本の旗 日本長崎県島原市[1]
国籍 日本の旗 日本
別名 シャミル(イスラム名)[1]
シェルコ(クルド名)[1]
出身校 青雲高等学校
早稲田大学人間科学部卒業[1]
職業 ジャーナリスト
団体 長崎放送(退職)
アジアプレス・インターナショナル( - 2001年3月)
宗教 イスラム教2000年2月 - )
罪名 私戦予備罪
私戦陰謀罪
刑罰 なし
犯罪者現況 不起訴
テンプレートを表示

常岡 浩介(つねおか こうすけ[1]1969年7月1日[1] - )は、日本のフリージャーナリスト東京都中野区在住。イスラム改宗後のムスリム名はシャミル[1]

経歴

[編集]

長崎県島原市生まれ[1]青雲高等学校[2]から早稲田大学人間科学部に進学。大学在学中にアルジェリア、リビアなどの紛争地を旅した[1]

1994年長崎放送報道部記者に[1]長崎県警察の内部犯罪を取材、発表[3]。記者になってから4年半後に退社し[1]、1998年からイスラム世界各地の戦場で取材を行う[1]

2000年2月にモスクワでイスラムに改宗[1]

一時期、アジアプレス・インターナショナルに所属していたが[いつから?]、2001年3月にメンバー資格剥奪[1]

2001年6月、ジョージア[要検証]アブハジア取材中に行方不明と報道される。同年12月にジョージア政府から日本大使館員に引き渡され帰国[要出典]

2003年1月、インテルファクス通信から「日本国籍のチェチェン国際テロリスト」と名指しで報道される[4][5]

2004年ロシアイングーシ共和国にて取材中、「所持している衛星携帯にGPSが付いている」という理由でロシア秘密警察に身柄を拘束される。16日間の拘束後、1000ルーブルの罰金刑を受け、ロシアを国外退去に。

2010年4月1日アフガニスタン、クンドゥーズ州イマム・サヒーブ郊外にてターリバーン幹部を取材直後、現地で地域警察として活動している政府側組織ヒズビ・イスラミ・ムタッヒド(統一イスラム党)の腐敗分子によって誘拐される。同年9月に無償解放。犯人グループはターリバーンに成りすまし、在カブール日本大使館に電話で身代金要求などを繰り返していたが、日本政府は徹底拒否した[6][7]

2011年9月17日パキスタンで取材活動を行っていた最中、首都イスラマバードからクエッタに向けて移動するために立ち寄ったベナジル・ブット国際空港にて、同行の中田考とともにパキスタン軍統合情報局(ISI)に拘束される[8][9]。中田は数時間後に解放されるも常岡は空港ロビーで9月22日まで6日間拘束され続け、強制送還により帰国。拘束していた情報機関職員は日本政府、それも「日本の情報機関」からの依頼による拘束と説明していた。日本外務省は依頼した事実を否定しながら、国際法に違反して日本国民を拘束したはずのパキスタン政府への抗議も行わなかった[10]。地元の英字紙DAWNの報道によると、常岡がパキスタンからアフガニスタンに越境しターリバーンに参加して米軍を攻撃しようとしているという情報提供があったためにISIが拘束したとしている[11]。拘束中に大量の蚊に刺されたためにデング出血熱に罹患する[12]

2012年6月、同志社大学と協力して常岡、中田考らはターリバーン公式代表らを京都に招聘。30年以上続くアフガニスタン内戦で初めて、カルザイ政権とターリバーンの双方の代表者が、一つのテーブルに就き、和平について協議を行った。これを受けて、翌7月、東京で開かれたアフガニスタン支援国会議で、米国のヒラリー・クリントン国務長官(当時)、パキスタンのカル外相、アフガニスタンのカルザイ大統領(当時)が共同声明を出し、三ヶ国が協力してターリバーンとの和平交渉を推進すると宣言した。[13][14][15]来日したターリバーン代表ムハンマド・ディーン・ハニーファは国連のターリバーン制裁リストに載っている人物であり、外国旅行が禁じられていたはずだが、パキスタンのアフガン領事館でアフガニスタンのパスポートを取得し、カタールを経由して来日し、日本側では岡田克也外務大臣(当時)が決裁していた。のちにロシアが「制裁違反」であるとして日本に抗議したが、日本は無視している[16]

2016年11月1日までに、クルディスタン地域政府(KRG)に拘束されていたことが分かったが[17]、11月7日に解放された[18][19]

2019年1月にイエメン入りしようとした際、経由地のオマーンで入国を拒否され強制送還された。その後、スーダン経由で再度イエメン入りを試みたところ、2月に、旅券法の渡航先の法規で入国を認められない場合、返納を命じることができるとする規定により、外務省から旅券返納命令を受けた[20]。同年4月24日、常岡は国を相手に返納命令の取り消しを求めて東京地裁に提訴した[21]

2024年1月19日、東京地裁(篠田賢治裁判長)は、常岡は旅券法が定める発給制限の対象にあたると判断し、常岡の請求を棄却した。判決は、オマーンでの入国拒否によって、常岡は発給制限の対象になると判断。また、常岡が国際テロ組織の幹部らと友好関係にあったと報道されていたことなどから、海外渡航を許可するのは「日本の国際社会における信用を損なう」と述べ、命令の違法性を否定した[22]

過激派組織ISILとの関係

[編集]

主な著書

[編集]

共著

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 常岡浩介. “シャミルシェルコ・常岡浩介とはナニモノ??”. Disclosure of Sherko――シェルコの情報公開――. 2019年3月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月26日閲覧。
  2. ^ ☪常岡浩介☪さんのツイート”. 2017年5月26日閲覧。
  3. ^ 寺澤有氏の講演内容より
  4. ^ 常岡はなにを晒してきたのか?
  5. ^ Declaration of Japanese journalists for «Kvestnik.org»より
  6. ^ 常岡浩介、カルザイ政権の闇と拘束の真相を語る(中央公論2010年10月号)より
  7. ^ 常岡浩介が味わった怒りと絶望「死を2度覚悟した」(週刊朝日2010年9月24日)より
  8. ^ Google+への投稿(Sep 19, 2011)
  9. ^ “パキスタン:当局が常岡さんを一時拘束 日本に強制送還”. 毎日新聞. (2011年9月24日). オリジナルの2011年9月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110925211207/http://mainichi.jp/select/world/news/20110924k0000m040128000c.html 2011年10月6日閲覧。 
  10. ^ Google+への投稿(Sep 22, 2011)
  11. ^ “Diplomat meets detained journalist”. dawn. (2011年9月22日). http://www.dawn.com/2011/09/22/diplomat-meets-detained-journalist.html 2011年9月22日閲覧。 
  12. ^ Twitterへの投稿(2011年9月24日)
  13. ^ 同志社大内藤正典教授のTwitterへの投稿(2012年6月29日)
  14. ^ 同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科 内藤正典教授(masanorinaito)による、『「アフガニスタンの和解と平和構築」に関する国際会議』についてのあれこれに関するお話(2012年7月5日)
  15. ^ Wall Street Journal Afghan Foes Sit Together in Kyoto 28th June 2012より
  16. ^ Database Afgan biographyより
  17. ^ “ジャーナリスト常岡浩介さん、イラクで拘束”. 朝日新聞. (2016年11月1日). http://www.asahi.com/articles/ASJB07TPKJB0UTFK016.html 
  18. ^ “イラクで拘束 常岡浩介さんが解放”. 日テレNEWS24. (2016年11月7日17時48分). オリジナルの2016年11月8日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20161108013706/http://www.news24.jp/articles/2016/11/07/04345813.html 2016年11月7日閲覧。 
  19. ^ ジャーナリスト常岡浩介さん、イラクで拘束 モスル奪還作戦を取材中”. The Huffington Post Japan (2016年11月1日). 2016年11月23日閲覧。
  20. ^ “常岡浩介さんに旅券返納命令 イエメンの取材計画”. 日本経済新聞. (2019年2月4日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40889770U9A200C1CC1000/ 2024年2月12日閲覧。 
  21. ^ “旅券返納問題、常岡さんが国提訴 「報道の自由が制限」”. 朝日新聞. (2019年4月24日). https://www.asahi.com/sp/articles/ASM4S3DTWM4SUTIL009.html 2024年2月12日閲覧。 
  22. ^ “フリー記者への旅券返納命令、取り消し認めず 東京地裁が判決”. 朝日新聞. (2024年1月19日). https://www.asahi.com/sp/articles/ASS1M530KS1MUTIL025.html 2024年2月12日閲覧。 
  23. ^ 家宅捜索された中田考氏 緊急インタビュー(IWJ Independent Web Journal 2014年10月9日)
  24. ^ IS参加の渡航準備 元北大生ら5人書類送検 私戦予備・陰謀容疑初適用”. 産経ニュース (2019年7月3日). 2021年4月3日閲覧。
  25. ^ 「イスラム国」参加準備、元北大生ら5人不起訴 東京地検」『産経新聞』2019年7月22日。2021年4月3日閲覧。
  26. ^ ISILのこと。ISILは「イスラム国」として国家を自称していたため。
  27. ^ “72時間は短すぎる”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2015年1月23日). オリジナルの2015年1月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150123161428/http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20150123-1425164.html 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]