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平ノ戸三之助 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

平ノ戸 三之助(ひらのと さんのすけ、1857年7月(安政4年) - 没年不詳[1])は、肥前国松浦郡(現長崎県佐世保市)出身で湊部屋中村部屋雷部屋に所属した元力士。元世話人。本名は岡本 三之助。最高位は前頭2枚目。身長体重不明。

来歴

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初めは大坂相撲に所属する力士であったが、25歳であった1883年1月に上京、湊部屋出身の梅ヶ谷藤太郎の門弟となり、東京相撲に加入し、二枚目格からの始まりとなった。1888年5月、30歳の時にようやく入幕を果たし、以後実力を発揮。1891年5月には、西ノ海嘉治郎から2度目の金星を上げ、翌1892年1月は自己最高位の西前頭2枚目に躍進した。なお、平ノ戸が獲得した3つの金星はすべて、西ノ海からのものである。1894年1月には、出身の佐世保が平戸藩の領地で、かつて平戸藩の抱え力士であった御用木雲右エ門 (初代)の四股名を継いで、2代・御用木雲右エ門を名乗っている。1894年5月限りで廃業し大阪に戻ったが、のち再び上京し世話人となった[2]

備考

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後年、同じ佐世保出身の出羽海部屋所属の平ノ戸千代蔵が、一時平ノ戸三之助を四股名としたことがある。

成績

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  • 幕内13場所29勝68敗23休10分預、金星3

改名

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  • 平ノ戸→御用木

出典

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  1. ^ http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3495&l=j
  2. ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709