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平倉洞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鐘路区 平倉洞
位置
各種表記
ハングル: 평창동
漢字: 平倉洞
片仮名転写: ピョンチャン=ドン
ローマ字転写 (RR): Pyeongchang-dong
統計(2012年
面積: 8.87 km2
総人口: 19,816[1]
男子人口: 9,496[1]
女子人口: 10,320[1]
人口密度: 2,234 人/km2
世帯数: 7,395[1] 世帯
行政
国: 大韓民国の旗 大韓民国
上位自治体: 鐘路区
行政区域分類コード: 1111056000
自治体公式サイト: 平倉洞
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平倉洞(ピョンチャンドン、韓国語평창동Ko-Pyeongchangdong.ogg 発音[ヘルプ/ファイル])は、ソウル特別市鐘路区に属する行政洞である。北漢山南側北岳トンネルの近くにあり、東は城北区貞陵3洞貞陵4洞、西に恩平区仏光1洞西大門区弘恩1洞、南は付岩洞と城北区城北洞、北は恩平区津寛洞京畿道高陽市徳陽区孝子洞と接している。

洞名の由来

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平倉洞は、宣恵庁(ソネチョン)の平倉があったことから由来した[2]

歴史

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朝鮮初期には漢城府北部義通坊(ウィトンバン)地域だった。1914年には京畿道高陽郡恩平面平倉里に属し、1949年西大門区に編入された。1950年平倉里から平倉洞に変わって、1975年西大門区から鐘路区の管轄になった。

法定洞

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平倉洞管轄の法定洞は以下のとおりである。[3]

  • 旧基洞(クギドン)
  • 平倉洞(ピョンチャンドン)

特徴

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平倉洞は多くの地域が開発制限区域に指定されている。北岳トンネルと旧基トンネルがあり、洗剣亭通り(セゴムジョンキル)と真興路(チヌンノ)がこのトンネルに繋がる。北漢山の麓には大邸宅が多く、伝統的な高級住宅街を形成している。535番地に曹渓宗ヘウォン寺(ヘウォンサ)があり、541-1番地にはソウル特別市民俗資料に指定された普堅山神閣がある。普堅山神閣に登る途中に、月灘(ウォルタン)の号を称する民族的ないし浪漫主義的歴史小説家朴鐘和(パク・ジョンファ)が住んでいた釣水楼がある。鐘路区北端にあたる旧基洞(クギドン)の名前は「クトックル」という自然部落の名前から由来する。

北漢山国立公園と接していて、多くの古跡がある。僧伽寺(スンガサ)、文殊庵(ムンスアム)などの寺と碑峰(ピボン)には北漢山真興王巡狩碑遺址があって、碑峰から洪智門に至る蕩春台城(タンチュンデソン)が旧基洞と弘恩洞、仏光洞との境界を成している。

文殊庵は1109年に僧侶兼書家である坦然(タニョン)が創建し、朝鮮戦争時に燃えてしまったのを1957年に修復再建した。燃える前には五百羅漢の塑像を祭る羅漢殿(ナハンジョン)が有名だった。

文殊庵の南側には756年に僧侶である秀台(ステ)が創建したといわれる僧伽寺があり、境内には1024年に制作された僧伽寺石造僧伽師像がある。僧伽寺の後ろの花崗岩の壁には蓮花座(ヨナジャ)の上に結跏趺坐した北漢山旧基里磨崖釈迦如来坐像がある。碑峰には真興王巡狩碑があったが、損傷を防ぐため1972年に景福宮に転じ、巡狩碑があった場所には模造碑を立てておいた。

脚注

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  1. ^ a b c d 鐘路区 > 行政情報 > 統計情報 > 2012年 四半期 住民登録人口(2012年12月31日現在)
  2. ^ 平倉洞住民センター > 私たちの洞案内 > 洞名由来
  3. ^ 鐘路区 > 鐘路紹介 > 鐘路区案内 > 洞住民センター