平元規
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時代 | 平安時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 延喜8年(908年)? |
官位 | 従五位下・左衛門大尉 |
主君 | 醍醐天皇 |
氏族 | 光孝平氏 |
父母 | 父:平中興 |
兄弟 | 元規、女子 |
子 | 平保衡 |
平 元規(たいら の もとのり)は、平安時代前期の貴族・歌人。光孝平氏・忠望王の養子となった左衛門権佐・平中興の子。官位は従五位下・左衛門大尉。
経歴
[編集]寛平9年(897年)醍醐天皇の即位後まもなく非蔵人として昇殿を聴され、右馬権少允に任ぜられた。その後は、右馬権大允・左兵衛少尉と武官を歴任し、延喜6年(906年)には六位蔵人兼左衛門大尉に任ぜられる。
延喜8年(908年)従五位下に叙爵するが、ほどなく卒去[1]。
藤原後蔭が「唐物の使い」で大宰府に下向する際に、送別の場で詠んだ和歌が『古今和歌集』に1首が採録されている[2]。
官歴
[編集]『古今和歌集目録』による。
- 寛平9年(897年) 7月10日:昇殿(非蔵人)。7月26日:右馬権少允
- 寛平10年(898年) 2月23日:右馬権大允。4月9日:左兵衛少尉
- 延喜6年(906年) 正月23日:六位蔵人。正月:左衛門大尉
- 延喜8年(908年) 正月23日:従五位下。日付不詳:卒去