平基親
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時代 | 平安時代後期 - 鎌倉時代前期 |
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生誕 | 仁平元年(1151年) |
死没 | 不明 |
官位 | 従三位・兵部卿 |
主君 |
二条天皇→六条天皇→高倉天皇→安徳天皇→後鳥羽天皇→土御門天皇 平徳子 |
氏族 | 桓武平氏高棟流 |
父母 | 父:平親範、母:高階泰重娘 |
兄弟 | 基親、俊親、仙範、信親、吉田定経室 |
子 |
親守、親房、親長、藤原親兼室、 北条重時継室 |
平 基親(たいら の もとちか)は、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての公卿。桓武平氏高棟流、参議・平親範の嫡男。官位は従三位・兵部卿。
経歴
[編集]蔵人所雑色・六位蔵人を経て、保元3年(1158年)従五位下に叙爵。出雲守・伯耆守と地方官を歴任した後、中宮大進・五位蔵人・右少弁を兼ね、高倉天皇と中宮・平徳子に仕えるが、治承三年の政変(1179年)で解官となる。この頃、後に『平基親願経』と呼ばれる『法華経』8巻に開経『無量義経』と結経『観普賢経』)を合わせた紺紙金字10巻セットを書写供養しており、現在は東京国立博物館に無量義経[1]、個人蔵の巻第五、フリーア美術館に巻第七[2]、MOA美術館に巻第八、センチュリー文化財団に観普賢経[3]がそれぞれ所蔵されている。
寿永2年(1183年)、右少弁に還任すると、文治2年(1186年)に従四位下、文治5年(1189年)には正四位下・左大弁と弁官を務めながら順調に昇進し、建久元年(1190年)、従三位・兵部卿に至る。正治年間に『官職秘抄』を編集。
建永元年(1206年)に出家。浄土宗の法然に師事する一方、同族の平光盛らの師となる。『選択本願念仏集』の編纂などにも関わった。
官歴
[編集]- 年要確認:蔵人所雑色・六位蔵人に叙される。
- 保元3年(1158年):従五位下に叙爵。
- 年要確認:出雲守に叙される。
- 平治元年(1159年):伯耆守に叙される(~仁安元年(1166年))。
- 年要確認:中宮大進・五位蔵人・右少弁を兼叙される。
- 治承3年(1179年):政変により解官。
- 寿永2年(1183年):右少弁に還任。
- 文治2年(1186年):従四位下に叙される。
- 文治5年(1189年):正四位下・左大弁、弁官に叙される。
- 建久元年(1190年)10月27日:従三位・兵部卿に叙される。
系譜
[編集]脚注
[編集]参考文献
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足利尊氏の系譜 |
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