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平堯知

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
平 堯知
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 生年不詳
死没 没年不詳
別名 喬知、新左衛門尉
官位 加賀守
主君 畠山義綱義慶上杉謙信
氏族 平氏
父母 父:平総知
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平 堯知(ひら たかとも)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将能登畠山氏の家臣。

略歴

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平総知の子として誕生する。天文23年(1554年)頃には父・総知に代わって畠山七人衆に名を連ねており、元亀2年(1571年)3月には畠山義慶の年寄衆としてその名が見える[1]

天正5年(1577年)9月、上杉謙信によって七尾城が攻略されると降伏してその家臣となるが、天正7年(1579年)、温井景隆らと共謀して謙信に背き、七尾城を占拠した。しかし天正9年(1581年)、菅屋長頼能登に入部すると七尾城から撤退した[1][2]

脚注

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  1. ^ a b 山本大小和田哲男『戦国大名家臣団事典 西国編』新人物往来社、1981年8月25日。ISBN 9784404010766 
  2. ^ 阿部猛西村圭子『戦国人名事典 コンパクト版』新人物往来社、1990年9月10日、659頁。ISBN 4404017529