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平戸市立中津良小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
平戸市立中津良小学校

2024年(令和6年)9月撮影
地図北緯33度14分23秒 東経129度26分25秒 / 北緯33.239667度 東経129.440278度 / 33.239667; 129.440278座標: 北緯33度14分23秒 東経129度26分25秒 / 北緯33.239667度 東経129.440278度 / 33.239667; 129.440278
過去の名称 第五大学区第四中学区中津良小学校
公立中等中津良小学校
簡易中津良小学校
尋常中津良小学校
中津良尋常小学校
中津良尋常高等小学校
中津良村中津良国民学校
中津良村立中津良小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 平戸市
設立年月日 1874年(明治7年)12月15日
創立記念日 12月15日
閉校年月日 2018年(平成30年)3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 859-5504
長崎県平戸市中津良町409番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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平戸市立中津良小学校(ひらどしりつ なかつらしょうがっこう、Hirado City Nakatsura Elementary School)は、長崎県平戸市中津良町にあった公立小学校

2018年平成30年)3月末をもって閉校し、平戸市立堤小学校とともに平戸市立津吉小学校に統合された[1]

概要

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歴史
1874年明治7年)に開校した「第五大学区第四中学区中津良小学校」を前身とする。2014年(平成26年)に創立140周年を迎えた。2018年(平成30年)3月末をもって閉校し、平戸市立津吉小学校に統合された。143年の歴史に幕を下ろした。
学校教育目標
「自ら学ぶ意欲と豊かな心を持ち、心身ともにたくましい中津良の子どもを育成する」
校章
校歌
歌詞は3番まであり、校名は登場しない。
校区
住所表記で長崎県平戸市の後に「下中津良町、上中津良町、敷佐町、猪渡谷町(一部)」の続く地域。中学校は平戸市立南部中学校校区。

沿革

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  • 1874年(明治7年)12月15日 - 下中津良免の旧庄屋跡に「第五大学区第四中学区中津良小学校」が開校。
  • 1882年(明治15年)7月 - 猪渡谷(いとや)免に分教場を設置。
  • 1884年(明治17年)3月 - 「公立中等中津良小学校」として独立。
  • 1886年(明治19年)
    • 8月 - 猪渡谷分教場を廃止。
    • 9月 - 小学校令の施行により、「簡易中津良小学校」に改称。
  • 1887年(明治20年)4月 - 簡易科を廃止し、「尋常中津良小学校」(尋常科4年)に改称。
  • 1893年(明治26年)4月 - 小学校令の改正により、「中津良尋常小学校」に改称(尋常の位置が変わる)。平屋建ての校舎が完成。
  • 1899年(明治32年)8月 - 猪渡谷に西部分教場を設置。
  • 1903年(明治36年)
  • 1905年(明治38年)4月 - 高等科を併置し、「中津良尋常高等小学校」となる(尋常科4年・高等科2年)。
  • 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の一部改正により、義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年に延長され、旧高等科1年を尋常科5年とする。
  • 1909年(明治42年)4月 - 旧高等科2年を尋常科6年とする。
  • 1911年(明治44年)
    • 4月 - 義務教育期間の延長により収容すべき児童数が増加したため、教室を増築。2ヶ年の高等科を併置する。
    • 11月4日 - 堤分教場を設置。
  • 1922年大正11年)- 運動場を拡張。
  • 1928年(昭和3年)4月 - 新校舎が完成。
  • 1935年(昭和10年)5月 - 青年学校令の施行により、併設の中津良実業補習学校が中津良青年学校に改称。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「中津良村中津良国民学校」に改称。尋常科を初等科に改称。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
    • 旧・中津良国民学校の初等科を改組し、「中津良村立中津良小学校」とする。堤分教場を堤分校とする。
    • 旧・中津良国民学校の高等科と中津良青年学校を改組し、「中津良村立中津良中学校[2]」(新制中学校)とし、小学校に併設する。
  • 1955年(昭和30年)1月1日 - 町村合併[3]で平戸市が誕生したことにより、「平戸市立中津良小学校」(現校名)と改称。
  • 1958年(昭和33年)8月31日 - 平戸市立中津良中学校が統合のため廃止され、併設を解消。小学校単独校となる。
  • 1962年(昭和37年)
    • 4月1日 - 堤(つつみ)分校が分離し、平戸市立堤小学校として独立。
    • 9月 - ミルク給食を開始。
  • 1966年(昭和41年)4月14日 - 南部給食センターの完成により、センター方式の完全給食を開始。
  • 1972年(昭和47年)11月 - 鉄筋コンクリート造2階建ての校舎が完成。
  • 1975年(昭和50年)10月 - 体育館が完成。
  • 1977年(昭和52年)6月 - プールが完成。
  • 1979年(昭和54年)2月 - 鉄筋コンクリート造2階建ての管理棟が完成。
  • 1980年(昭和55年)3月31日 - 猪渡谷分校[4]を廃止。
  • 2018年(平成30年)
    • 2月24日 - 閉校記念式典を挙行。
    • 3月31日 - 平戸市立津吉小学校への統合により閉校[1]
      • 閉校後は、国道383号に面した校舎1棟、体育館、グラウンドが残されている。残された校舎1棟には「中津良保育所」が移転し、裏の校舎は解体され、保育所の園庭となっている。

交通アクセス

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周辺

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  • 中津良ふれあい会館
  • 平戸市立中南部学校給食共同調理場
  • 中津良郵便局

脚注

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  1. ^ a b 3校合同歓迎遠足 - 平戸市立津吉小学校ウェブサイト
  2. ^ 1958年(昭和33年)に志々伎中学校・津吉中学校の2校と統合され、平戸市立南部中学校となる。
  3. ^ 平戸町・中野村・獅子村・紐差村・中津良村・津吉村・志々伎村が合併して市制施行し、平戸市が発足。
  4. ^ 猪渡谷の読みは「いとや」。

参考資料

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関連項目

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外部リンク

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