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平戸市立津吉小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
平戸市立津吉小学校
Hirado tsuyoshi es
地図北緯33度12分43秒 東経129度26分09秒 / 北緯33.211833度 東経129.435944度 / 33.211833; 129.435944座標: 北緯33度12分43秒 東経129度26分09秒 / 北緯33.211833度 東経129.435944度 / 33.211833; 129.435944
過去の名称 津吉尋常高等小学校
津吉村国民学校
津吉村立津吉小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 平戸市
併合学校 古田尋常高等小学校
前津吉尋常高等小学校
平戸市立志々伎小学校早福分校
平戸市立中津良小学校
平戸市立堤小学校
設立年月日 【最終合併】
1931年(昭和6年)10月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210001090 ウィキデータを編集
所在地 859-5527
長崎県平戸市田代町575番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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平戸市立津吉小学校(ひらどしりつ つよししょうがっこう、Hirado City Tsuyoshi Elementary School)は、長崎県平戸市田代町にある公立小学校

概要

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歴史
1874年明治7年)に開校した「古田小学校」と「前津吉小学校」を前身とする。1887年(明治20年)に一旦合併したが、1901年(明治34年)に合併を解消し分離。その後1931年(昭和6年)に完全に統合した。2011年(平成23年)に統合80周年を迎えた。
学校教育目標
「確かな学力と豊かな心、健やかな体を備え、自らの未来を切り拓く自覚を持った人間を育成する。」
校章・校歌
校区
住所表記で長崎県平戸市の後に「神船町、津吉町、東中山町、西中山町、辻町、鮎川町、無代寺町、大佐志町、田代町、前津吉町、神上町、神ノ川町、船木町、早福町、下中津良町、上中津良町、敷佐町、猪渡谷町、堤町」の続く地域。中学校は平戸市立南部中学校校区。

沿革

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  • 1874年(明治7年)
    • 8月19日 - 古田免の旧庄屋跡に「第五大学区長崎県管下第四中学区松浦郡古田小学校」が開校。
    • 12月 - 前津吉の旧庄屋跡に「第五大学区長崎県管下第四中学区松浦郡前津吉小学校」が開校。
  • 実施年月日不明 - 「公立下等古田小学校」・「公立下等前津吉小学校」に改称。
  • 1886年(明治19年)7月 - 小学校令の施行により、「簡易古田小学校」・「簡易前津吉小学校」に改称。
  • 1887年(明治20年)8月 - 簡易古田小学校と簡易前津吉小学校が合併し、「尋常津吉小学校」となる。
  • 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、津吉村立の小学校となる。
  • 1893年(明治26年)頃 - 小学校令の改正により「津吉尋常小学校」に改称。
  • 1901年(明治34年)4月1日 - 津吉尋常小学校が「古田尋常小学校」と「前津吉尋常小学校」の2校に分離。
  • 1903年(明治36年)
    • 1月 - 前津吉尋常小学校の新校舎が完成。
    • 6月 - 前津吉尋常小学校に前津吉実業補習学校が併設される。
    • 7月 - 古田尋常小学校に古田実業補習学校が併設される。
  • 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の一部改正により、義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年に延長される。
  • 1912年(明治45年)4月 - 前津吉尋常小学校に高等科が併置され、「前津吉尋常高等小学校」に改称。
  • 1921年大正10年)4月 - 古田尋常小学校に高等科が併置され、「古田尋常高等小学校」に改称。
  • 1931年(昭和6年)10月1日 - 古田尋常高等小学校と前津吉尋常高等小学校が統合され、「津吉尋常高等小学校」となる。
    • 旧2校のほぼ中間地点にある田代免に新校舎が完成。
    • 旧2校併設の実業補習学校も統合され、「津吉実業補習学校」となる。
  • 1935年(昭和10年)5月 - 青年学校令の施行により、津吉実業補習学校が「津吉青年学校」に改称。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「津吉村国民学校」に改称。尋常科を初等科に改称。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
    • 旧・津吉村国民学校の初等科を改組し、「津吉村立津吉小学校」とする。堤分教場を堤分校とする。
    • 旧・津吉村国民学校の高等科と津吉青年学校を改組し、「津吉村立津吉中学校[1]」(新制中学校)とし、津吉青年学校校舎を使用する。
  • 1955年(昭和30年)1月1日 - 町村合併[2]で平戸市が誕生したことにより、「平戸市立津吉小学校」(現校名)と改称。
  • 1958年(昭和33年)8月31日 - 平戸市立津吉中学校が統合のため廃止される。
  • 1962年(昭和37年)9月 - ミルク給食を開始。
  • 1964年(昭和39年)- 鉄筋コンクリート造2階建ての新校舎が完成。
  • 1966年(昭和41年)4月14日 - 南部給食センターの完成により、センター方式の完全給食を開始。
  • 2004年(平成16年)3月 - 新体育館が完成。
  • 2006年(平成18年)7月 - 新校舎が完成。
旧・平戸市立志々伎小学校早福分校跡

交通アクセス

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周辺

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  • 前津吉郵便局

脚注

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  1. ^ 1958年(昭和33年)に志々伎中学校・中津良中学校の2校と統合され、平戸市立南部中学校となる。
  2. ^ 平戸町・中野村・獅子村・紐差村・中津良村・津吉村・志々伎村が合併して市制施行し、平戸市が発足。
  3. ^ 「早福」の読みは「はいふく」。平戸市立志々伎小学校早福分校ウェブサイト
  4. ^ 3校合同歓迎遠足 - 平戸市立津吉小学校ウェブサイト

参考資料

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  • 「平戸市史(復刻版)」(1983年(昭和58年)3月10日発行, 市役所)

関連項目

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外部リンク

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