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平戸市立田平南小学校

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平戸市立田平南小学校
平戸市立田平南小学校
地図北緯33度19分20.9秒 東経129度35分35.3秒 / 北緯33.322472度 東経129.593139度 / 33.322472; 129.593139座標: 北緯33度19分20.9秒 東経129度35分35.3秒 / 北緯33.322472度 東経129.593139度 / 33.322472; 129.593139
過去の名称 第五大学区長崎県管下第四中学区松浦郡日泉小学校
長崎県松浦郡平戸学区公立中等日泉小学校
尋常下寺小学校
下寺尋常小学校
下寺尋常高等小学校
南田平村南尋常高等小学校
南田平村南国民学校
南田平村立南小学校
田平町立南小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 平戸市
校訓 明るく・正しく・元気よく
設立年月日 1874年(明治7年)10月11日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210002062 ウィキデータを編集
所在地 859-4815
長崎県平戸市下寺免44番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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平戸市立田平南小学校(ひらどしりつ たびらみなみしょうがっこう、Hirado City Tabira Minami Elementary School)は、長崎県平戸市田平町下寺免にある公立小学校。略称は「南小」(みなみしょう)。

概要

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歴史
1874年(明治7年)に開校した「第五大学区長崎県管下第四中学区松浦郡日泉小学校」を前身とする。2009年平成21年)に創立135周年を迎えた。
校訓
「明るく・正しく・元気よく」
学校教育目標
「めあてをもって、生き生きとやりぬく子どもの育成」
校章・校歌
校区
住所表記で平戸市田平町の後に「生向、外目、下寺、以善、万場、南荻田、田代、古梶(一部)、西荻田(一部)、深月」が続く地域。中学校区は平戸市立田平中学校

沿革

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前史
  • 1872年(明治5年)頃 - 下寺村俵返の旧・庄屋跡に習書場(読み書きを教える場所)の分室が開設される。
正史
  • 1874年(明治7年)10月11日 - 学制に基づき、「第五大学区長崎県管下第四中学区松浦郡日泉小学校[1]」が開校。
    • 習書場分室の置かれていた、永井徳太郎宅10畳の座敷と物置を校舎としてスタート。
    • 初等小学科(4年制)と中等小学科(4年制)を設置。
  • 1875年(明治8年)7月頃 - 児童数の増加により、旧平戸藩武器庫の払い下げを受け、下寺村の稲荷山(現・むつみ保育園周辺)に校舎を建設し、移転を完了。
  • 1878年(明治11年)7月22日 - 郡区町村編制法により、自治体としての北松浦郡が発足。
  • 1881年(明治14年)- 深月と古梶にそれぞれ分教場を設置(約3年間存続の後、廃止された)。
  • 1882年(明治15年)7月 - 教育令の施行により、「長崎県北松浦郡平戸学区公立中等日泉小学校」に改称。初等科(3年制)と中等科(3年制)を設置。
  • 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、長崎県が平戸町(現・平戸市中心部)の維新館跡に「第十四高等小学校[2]」を設置。
    • 田平地区で尋常小学校を修了した後に、高等小学校への進学を希望する者は渡し船で通学するか(当時平戸島との間を結ぶ橋はなかった)、学校併設の寄宿舎に入寮するなどして、第十四高等小学校に通わなければならなかった。
  • 1887年(明治20年)3月 - 前年の小学校令施行により、平戸学区から分離し、「尋常下寺小学校」に改称。尋常科(4年制)を設置。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行で、小手田村と下寺村が合併し南田平村が発足。これにより、南田平村立の小学校となる。
  • 1893年(明治26年)3月 - 小学校令の改正により、「下寺尋常小学校」に改称(「尋常」の位置が変更になる[3])。
    • この時、平戸町にあった第十四高等小学校が廃止され、「平戸町四ヶ村[4]学校組合立平戸高等小学校」が設置される。
  • 1901年(明治34年)2月 - 現在地に校地を定め、山林を切り開き、校地の造成工事に着手。
  • 1902年(明治35年)7月 - 木造平屋建ての校舎が完成し、移転を完了。
  • 1904年(明治37年)
    • 3月 - 平戸高等小学校を運営している組合から、田平村と南田平村が脱退。
    • 4月 - 田平村と南田平村の2村は新たに学校組合を構成し、「両田平村学校組合立田平高等小学校」を設置。
      • 校舎が完成するまでの間、高等小学校本校を旧・下寺尋常小学校の校舎(稲荷山)に、小手田尋常小学校に分教場を設置。
  • 1905年(明治38年)3月 - 笠松天神社(米の内)の北隣に田平高等小学校の校舎が完成し、移転を完了。
  • 1907年(明治40年)4月 - 義務教育年限が尋常科4年から尋常科6年に延長されたため、尋常科5年を新設。
  • 1908年(明治41年)4月 - 尋常科6年を新設。
  • 1909年(明治42年)4月 - 収容児童数の増加により、校舎を増築。
  • 1918年(大正7年)
    • 3月 - 田平村と南田平村が学校組合を解消し、田平高等小学校が廃止される。
    • 4月 - 南田平村が単独で、旧・田平高等小学校校舎を利用し、村立の南田平高等小学校を設置。
  • 1919年(大正8年)
  • 1926年(大正15年)4月 - 統合により、併設の下寺実業補習学校が廃止される[5]
  • 1938年(昭和13年)11月 - 講堂が完成。
  • 1941年(昭和16年)
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
    • 旧・国民学校の初等科を改組し、「南田平村立南小学校」とする。
    • 旧・国民学校の高等科を改組し、「南田平村立南中学校[6]」とし、小学校に併設。
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 田平村と南田平村の2村合併・町制施行により、「田平町立南小学校」と改称。
  • 1965年(昭和40年)4月 - 北小学校に田平町学校給食共同調理場が完成し、完全給食を開始。
  • 1969年(昭和44年)10月 - プールが完成。
  • 1972年(昭和47年)6月 - 体育館が完成。
  • 1974年(昭和49年)10月 - 創立100周年記念式典を挙行。
  • 1983年(昭和58年)8月 - 校訓碑を建立。
  • 1984年(昭和59年)11月 - 第1回日泉バザーを開催。
  • 2005年(平成17年)10月1日 - 田平町が平戸市に編入され、「平戸市立田平南小学校」(現校名)に改称。

交通アクセス

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最寄りのバス停
最寄りの道路

周辺

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  • 平戸市田平町民センター南支館

脚注

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  1. ^ 第一中学区は長崎区、第二中学区は旧・島原藩、第三中学区は旧・大村藩、第四中学区は旧・平戸藩、第五中学区は旧・福江藩を表している。なお、壱岐と対馬は第四中学区に所属していた。
  2. ^ 長崎県はこの時、県内を14の区域に分け、高等小学校20校を設置した。第一高等小学校は長崎区、第二十高等小学校は対馬の厳原に設置された。北松浦郡には佐々に第十三高等小学校、平戸町に第十四高等小学校、志佐(現・松浦市)に第十五高等小学校、小値賀に第十六高等小学校の4校が設置された。
  3. ^ 尋常小学校に高等科を併置し、尋常高等小学校とすることができるようになったため、尋常の位置が変更されるようになった。
  4. ^ 平戸村(平戸町とは別)、中野村、田平村、南田平村の4村
  5. ^ 南田平実業補習学校と統合され、「南田平村立南田平実業補習学校」として、荻田に独立開校した。
  6. ^ 1950年(昭和25年)12月に北中学校と統合され、南田平中学校となる。1954年(昭和29年)4月の田平町発足に伴い、田平町立田平中学校に改称。1956年(昭和31年)の4月に東中学校を統合する。現在の平戸市立田平中学校

参考文献

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  • 「田平町郷土誌」(1993年(平成5年)3月31日, 田平町教育委員会)

関連項目

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外部リンク

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