コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

佐々町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
さざちょう ウィキデータを編集
佐々町
町内を流れる佐々川
佐々町旗 佐々町章
佐々町旗 佐々町章
1976年4月17日制定
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
北松浦郡
市町村コード 42391-2
法人番号 3000020423912 ウィキデータを編集
面積 32.26km2
総人口 13,765[編集]
推計人口、2024年10月1日)
人口密度 427人/km2
隣接自治体 佐世保市
町の木 (制定なし)
町の花 サザンカ
佐々町役場
町長 古庄剛
所在地 857-0392
長崎県北松浦郡佐々町本田原免168-2
北緯33度14分18秒 東経129度39分01秒 / 北緯33.23842度 東経129.65036度 / 33.23842; 129.65036座標: 北緯33度14分18秒 東経129度39分01秒 / 北緯33.23842度 東経129.65036度 / 33.23842; 129.65036
地図
町役場位置

佐々町役場
外部リンク 公式ウェブサイト

佐々町位置図

― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

佐々町(さざちょう)は、長崎県の北部、北松浦半島中南西部に位置する北松浦郡に属する。市区町村名称に約物(特殊記号)のひとつ「」を用いている数少ない自治体のひとつである[1]

地理

[編集]
小春橋から佐々川上流方向を望む。写真左側後方に見える山は鷲尾岳。
(2008年12月12日)

佐世保市中心部から北に約15kmの場所に位置する。東境には韮岳から同町牟田原に連なる山脈があり、西境の盲ヶ原から北境の鷲尾岳まで江里山脈が連なっている[2]。この間に佐々谷と呼ばれる縦谷(佐々川衝上断層)が形成され、国見山(旧 北松浦君世知原町)に源流を発する延長21.5kmの佐々川が北東から南西に流れている[2]

また、東に木場谷、西に志方谷があり、その水は佐々川に合流している。なお、海岸線はきわめて短いが、本町唯一の海の玄関として佐々港がある。

北松炭田地域にあり、昭和40年代までは炭鉱の町として栄えた。

前身となる佐々村は1889年(明治22年)4月に旧佐々村と市瀬村が合併して誕生した[2]。その後、炭鉱全盛期に人口が約2倍になり、1941年(昭和16年)1月に町制を施行した[2]平成の大合併で隣接していた各町[3]はすべて佐世保市へ編入する中で佐々町は単独町制を継続し、南西部の海岸線以外を佐世保市に囲まれる地勢となった。

町域を松浦鉄道西九州線および国道204号が通っている。佐世保市のベッドタウンとなっており、2011年平成23年)9月には西九州自動車道佐々ICが供用を開始し、佐世保市街への交通アクセスがさらに向上した[2]

  • 山:鷲尾岳、韮岳、大岳、城辻山、古川岳(降神岳)、神野山、盲ヶ原(めくらがばる)、牟田原(むたばる)
  • 河川:佐々川、木場川、志方川、笛子川、市瀬川、江里川、高岩川、神田川
  • 港湾:佐々浦、佐々港

気候

[編集]

年間平均気温は17度前後、平均湿度は約65%で、年間平均降水量は1,900mm台である[4]

隣接市町村

[編集]

上記のように隣接していた町村は昭和初期から平成期にかけてすべて佐世保市に編入したため、現在は海岸部以外を佐世保市に囲まれている。

かつては以下の町村と隣接していた。

地域

[編集]

人口

[編集]
佐々町と全国の年齢別人口分布(2005年) 佐々町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 佐々町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
佐々町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 10,987人
1975年(昭和50年) 11,035人
1980年(昭和55年) 11,812人
1985年(昭和60年) 12,212人
1990年(平成2年) 12,068人
1995年(平成7年) 12,695人
2000年(平成12年) 13,335人
2005年(平成17年) 13,697人
2010年(平成22年) 13,599人
2015年(平成27年) 13,626人
2020年(令和2年) 13,912人
総務省統計局 国勢調査より

地名

[編集]

を行政区域とする。佐々町では1953年(昭和28年)3月まで免の名称に大字(佐々・市瀬)を冠していたが、同年4月に大字を廃止した[6][7]

【表記例】

  • 佐々町大字佐々本田原免 → 佐々町本田原免
  • 佐々町大字市瀬市瀬免 → 佐々町市瀬免

土地の表示

[編集]

不動産登記における登記簿の表題部「土地の表示」に記載される所在名称(地名)の表記方法は下記のとおり。

以下、×は大字名称、○はの名称、△は小字名称を表す。

  • 1953年3月まで:佐々町大字××○○免字△△(または佐々町××○○免字△△)
  • 現在の表示:佐々町○○免字△△

なお、佐々町の地番区域は「免」である。

町内会

[編集]

1943年(昭和18年)に区制を改め「部落」と称し29の部落が設置されていた。1981年(昭和56年)に現行の「町内会」に名称を変更し、2012年(平成24年)4月時点で33の町内会が設置されている[11]

町内会の名称と免の名称は必ずしも一致するとは限らない[注 1]

範囲 町内会
南部[* 1] 沖田[* 2]、口石、佐々南[* 3]、東町、西町、芳ノ浦、里、新町、四ツ井樋、
水道、浜迎、土手迎、真申、木場、千本[* 4]
北部[* 5] 市瀬、若佐[* 6]、江里、大茂、鴨川、神田、さざん花[* 7]
角山[* 8]、松瀬、北[* 9]、栗林、志方、野寄、里山、古川、中央通
その他 牟田原[* 10]、虹の里[* 11]
  1. ^ 口石小学校校区に相当。
  2. ^ 1978年(昭和53年)、雇用促進住宅の完成に伴い発足。
  3. ^ 読みは「さざなみ」。口石免に所在。
  4. ^ 読みは「せんぼん」。主に「千本団地」と呼ばれる宅地造成区域に該当。
  5. ^ 佐々小学校校区に相当。
  6. ^ 市瀬第2団地の建設に伴い昭和50年代初め頃に発足。市瀬免に所在。
  7. ^ もとはボタ山等の炭鉱関連の土地であったが、宅地造成工事が行われ1984年(昭和59年)に完成し発足。皆瀬免に所在。
  8. ^ 読みは「つのやま」。
  9. ^ 松瀬免の一部地域に該当。
  10. ^ 牟田原地区の範囲は南北に跨がっているため、小学校の校区が居住地によって異なる。
  11. ^ 特別養護老人ホーム「虹の里」地内。施設は八口免に所在。

歴史

[編集]

先史・古代

[編集]

中世

[編集]
  • 鎌倉時代の文書に「佐々」の地名が出現する。正和3年(1314年)の鎮西御教書案に、肥前国佐々浦の某住人が所従を巡り鎮西探題に訴えを起こした旨の内容が記されている[15]。また、永徳4年(1384年)の松浦党一揆承諾状に関連記事があり、佐々氏[16]の項目に「さゝ長門守相」の名が見られる[17]
    • 上記のとおり「佐々(さゝ)」の地名は中世半ば頃には既に存在しているが、地名の由来については不詳。但し当地内での口伝による説として、現在の佐々町南部の平野部は近世の干拓以前は(佐々)であり、佐々川の作用や地形によるもの(狭い川瀬、岸部に広がる砂浜の状態「砂々」、水面の状態「」等)を表したとする説や、の一種「ササ」が繁生していた事を由来とする説が云われている。
  • 15世紀後半より北松浦半島一帯をめぐる覇権争いが激しくなる。佐々町域においても平戸松浦氏と相神浦松浦氏(宗家松浦氏)との間で合戦が繰り広げられた。とりわけ1563年(永禄6年)の半坂合戦と呼ばれる戦では、佐々にある医王山東光寺の豪僧、伝育の活躍があり、その逸話が今日に伝えられている。

近世

[編集]
  • 江戸時代は平戸藩に属した。藩政の一環として干拓事業が行われ、佐々川下流域が埋め立てられる(現在の本田原免、沖田免、小浦免など町域中南部平野部一帯)。この一帯は大新田と呼ばれ、平戸藩有数の水田塩田地帯となった。江戸中期より北松浦半島一帯に石炭の存在が確認され、明治期以降は産炭地として発展していく事となる。
  • 1751年宝暦元年)、彼杵郡折尾瀬村(後の東彼杵郡折尾瀬村、現在の佐世保市三川内地域)より陶工が市瀬村へ移り住み、鴨川免にて開窯[18]。江戸後期には尾張国春日井郡瀬戸村(現在の愛知県瀬戸市)の陶工、加藤民吉磁器製法習得のため肥前国に入る。1804年文化元年)末に市瀬村鴨川免の福本家を訪ね、翌年より当地にて2年間修行に励む。その後瀬戸へ帰郷した民吉は、習得した磁器製法で瀬戸焼の再興に貢献した。今日において民吉は瀬戸焼の磁祖と称えられている。
  • 1813年(文化10年)初め、伊能忠敬らの測量隊が佐々入り。平戸往還の一部である佐々村半坂峠(口石免)から市瀬村江里峠(江里免)を通過している。途中、古川免の石田屋平太郎宅にて一泊した旨の記録があり[19]、現在の石田屋宅跡地には「伊能忠敬宿所跡」の石碑が建てられている。

近現代

[編集]

明治以降は採炭事業が本格化する。近代技術を取り入れた炭鉱会社が次々と開鉱し、石炭を運搬するための鉄道網が整備される(関西採炭松浦炭坑専用鉄道[20]佐世保軽便鉄道など。後の国鉄松浦線。現在の松浦鉄道西九州線)。昭和中期にかけて北松炭田屈指の産炭地として隆盛を極めるが、エネルギー革命の波に押され、町内に多数存在した炭鉱は昭和44年4月までに全て閉山。最盛期には約2万あった人口が1万を割る寸前まで落ち込み、町は急速に過疎化の一途を辿った。

炭鉱閉山後は農業を主産業とし、耕地整備などの土地改良事業やボタ山の宅地開発、企業誘致、福祉政策に取り組む。また佐世保市中心部への交通アクセスが良好な地勢もあり、人口は平成10年代までに1万3千人に回復している。

明治

[編集]
  • 1889年(明治22年)
    • 4月1日 - 町村制の施行により、2大字25免の区域をもって、佐々村が発足する。役場を大字佐々古川免に設置。
    • 7月8日 - 初代村長を選出。
  • 1891年(明治24年) - 『徴発物件一覧表』による1891年時点での村内の人口4,612人(男2,312・女2,300)、戸数850戸。

昭和

[編集]
  • 1935年昭和10年) - 役場を古川免から本田原免に移転。
  • 1941年(昭和16年)1月1日 - 石炭産業の隆盛に伴う人口の急増により、町制施行して、佐々町となる。
  • 1944年(昭和19年)4月 - 日本国有鉄道(国鉄)松浦線全線開通。
  • 1950年(昭和25年) - 町内の人口20,166人(国勢調査
  • 1957年(昭和32年)7月 - 諫早大水害発生。佐々町でも死者2名ほか負傷者がでる。
  • 1960年(昭和35年)2月 - 佐々炭鉱、小浦炭鉱閉山。
  • 1961年(昭和36年)
    • 4月 - 日鉄神田炭鉱閉山。
    • 9月 - 芳の浦炭鉱閉山。
  • 1962年(昭和37年)10月 - 市瀬炭鉱閉山。
  • 1963年(昭和38年)
  • 1964年(昭和39年)
    • 3月 - 里山炭鉱閉山。
    • 4月 - 日窒江里炭鉱、韮山炭鉱閉山。
    • 8月 - 高野炭鉱閉山。
  • 1965年(昭和40年)4月 - 報国炭鉱閉山。
  • 1966年(昭和41年)4月 - 川添炭鉱閉山。
  • 1967年(昭和42年)
    • 7月 - 未曾有の大水害[21]により数十億円の被害。激甚災害に指定。
    • 8月 - 70年来の大旱魃により中山間地域の水稲全滅の被害。
    • このほか年初には大寒波が襲来するなど、極端な気象が目立つ年であった。(詳細は「昭和42年7月豪雨」を参照)
  • 1968年(昭和43年)3月 - 佐々町役場庁舎、都市計画により解体。
  • 1969年(昭和44年)
    • 4月 - 第二丸尾炭鉱閉山。
    • 6月 - 佐々町役場新庁舎落成。(現庁舎)
  • 1970年(昭和45年) - 町内の人口10,987人(国勢調査)
  • 1971年(昭和46年)12月 - 国鉄臼ノ浦線が廃止。
  • 1976年(昭和51年)4月
    • 町章・町花が制定される。
    • 国土調査事業(地籍調査) が始まる。
  • 1982年(昭和57年)7月 - 長崎大水害発生。佐々町でも大雨による被害。
  • 1986年(昭和61年)5月 - 学童農園「童の里」落成。(現・佐々町農業体験施設)
  • 1988年(昭和63年)

平成

[編集]
  • 1992年平成4年)7月 - 国土調査事業(地籍調査)町内全域完了。
  • 1994年(平成6年)8月 - 平成6年渇水発生。町内の平地部で減圧給水。
  • 2002年(平成14年)
    • 7月 - 佐々町・小佐々町任意合併協議会設立。
    • 8月 - 佐々谷四町任意合併協議会設立[注 2]
    • 9月 - 大雨により低地浸水の被害。
    • 11月 - 佐々町・小佐々町法定合併協議会設置。
  • 2004年(平成16年)9月 - 第17回佐々町・小佐々町合併協議会にて合併後の新町名・合併日が決定[22]
新町名:さざなみ町
合併日:平成17年4月1日

行政区域の変遷

[編集]

行政

[編集]

町制

[編集]

歴代村長・町長

[編集]
代位 氏名 就任 退任 在任期間 備考
1 吉福忠誠 1889年7月 1890年9月 1年2ヶ月
2 川内野吉三郎 1890年10月 1898年2月 7年4ヶ月
3 久家竹一郎 1898年3月 1937年12月 39年9ヶ月
4 久家六蔵 1937年12月 1946年11月 8年10ヶ月 1941年、町制施行
5 藤永源市 1947年4月 1947年8月 3ヶ月
6 小野実 1947年10月 1951年10月 3年11ヶ月
7 久家六蔵 1951年10月 1963年4月 11年6ヶ月 名誉町民
8 菊本春夫 1963年4月 1987年4月 24年 名誉町民
9 清原恵一郎 1987年4月 2003年4月 16年
10 大瀬康政 2003年4月 2005年5月 2年 小佐々町との合併問題に伴うリコールにより5月17日辞職
11 関耕二 2005年6月 2009年6月 4年
12 古庄剛 2009年6月 - 在任中

町議会

[編集]
  • 佐々町議会 定員 10

町役場

[編集]
  • 佐々町役場本庁
    • 1階
      • 住民福祉課 - 住民班、福祉班
      • 保険環境課 - 保険年金班、環境衛生班
      • 水道課 - 上水道班、下水道班
      • 税務課 - 税務班、収納班
      • 出納室 - 出納班
    • 2階
      • 総務課 - 総務班(パスポート窓口)、交通安全班
      • 選挙管理委員会
      • 企画財政課 - 企画班、財政班
      • 産業経済課 - 農政班、商工観光班
      • 建設課 - 総務班、都市計画班、技術担当班
    • 3階
      • 議会事務局
      • 監査
  • 佐々町役場別館
  • 佐々町国民健康保険診療所 - 事務班、医療班
  • 佐々町健康相談センター - 健康づくり班
  • 佐々町総合福祉センター
    • 社会福祉協議会
    • 地域包括支援センター

広域行政

[編集]

佐世保地域広域市町村圏組合

消防

[編集]

県政

[編集]

県議会

[編集]
  • 長崎県議会 佐世保市・北松浦郡選挙区 定数9(佐世保市と合わせて)

県の出先機関

[編集]

警察

[編集]

国政

[編集]

衆議院

[編集]
選挙区 議員名 党派名 当選回数 備考
長崎県第4区(佐々町、佐世保市早岐三川内の各支所管内を除く)、平戸市松浦市西海市 北村誠吾 自由民主党 7 選挙区

公共施設

[編集]

教育・文化

[編集]

交流施設

[編集]
  • 佐々町公民館・勤労青少年ホーム
  • 佐々町地域交流センター

ホール

[編集]
  • 佐々町文化会館

図書館

[編集]
  • 佐々町立図書館

スポーツ・レジャー

[編集]
  • 佐々町民体育館
  • 北部地区体育館
  • 南部地区体育館
  • 佐々勤労者総合スポーツ施設(通称:サン・ビレッジさざ)
    • 屋内運動場(テニスコート・ゲートボール場)、屋外テニスコート、屋外ゲートボール場、多目的グラウンド
  • 千本運動公園
    • 多目的グラウンド、テニスコート、屋外プール
  • 自修館
    • 弓道場
  • 皿山公園
    • ファミリーランド[31]、陶芸体験館
  • でんでんパーク☆さざ
  • 佐々町農業体験施設(旧称:学童農園)
    • 体験農園各種、温室、宿泊棟、キャンプ場、炊飯場等

金融

[編集]

郵便局

[編集]
  • 佐々郵便局 - 郵便番号が857-03で始まる地域(佐々町全域)の集配業務を行う
  • 小浦郵便局
  • 佐々松瀬郵便局
  • 芳の浦簡易郵便局

教育

[編集]

高等学校

[編集]
清峰高等学校

中学校

[編集]

町立

小学校

[編集]

町立

廃校になった小学校については長崎県小学校の廃校一覧#北松浦郡を参照。

幼稚園

[編集]

町立

  • 佐々幼稚園

保育所

[編集]

町立

  • 中央保育所
  • 第2保育所

私立

  • 佐々神田保育園[注 3]
  • さざなみ保育園

その他専修学校等

[編集]

職業能力開発校

交通

[編集]

最寄り空港は長崎空港2007年10月1日より新設の佐々バスセンターから直通する特急バス(西肥バス運行)が新たに運行されるようになった。

佐々バスセンター

鉄道路線

[編集]
佐々駅

中心駅は佐々駅。

このほか町内には「真申駅」「野寄駅」「四ツ井樋駅」及びかつての国鉄臼ノ浦線が存在したが、松浦線の改軌により1945年に真申駅は佐世保市畑中免(現在の光町)に移転し、野寄駅と四ツ井樋駅は廃止された。また、臼ノ浦線は炭鉱閉山の影響で赤字83線に選定され、1971年に廃線となった。

バス路線

[編集]

西肥自動車(西肥バス)が運行している(「させぼ号」は西日本鉄道、長崎 - 佐世保間は長崎県交通局と共同運行)。

  • 一般路線バス
    • 半急:佐世保市(中心部) - 佐々町 - 佐世保市(吉井町・江迎町) - 平戸市(田平町・中心部)
    • 佐世保市(中心部) - 佐々町 - 佐世保市(吉井町・江迎町)

道路

[編集]

高速道路

[編集]

一般道路

[編集]

産業・商業

[編集]

明治期から昭和中期にかけて石炭産業で繁栄を極めた時代は、大手企業から個人経営まで多数の炭鉱関連企業が存在した。佐々町内で操業していた著名な企業として日鉄鉱業三菱鉱業住友鉱業、日満鉱業、日窒鉱業日産化学工業がある[32]。郷土誌等によれば、町内に存在した炭鉱として以下の炭鉱名が見える。

  • 市ノ瀬炭鉱(一ノ瀬炭鉱)、江里炭鉱、大茂炭鉱、大岳炭鉱、第二大岳炭鉱、鴨川炭鉱、木田炭鉱、川添炭鉱、神田炭鉱、小浦炭鉱(牧崎炭鉱)、木場山炭鉱(木場炭鉱)、佐々炭鉱、里山炭鉱、椎葉炭鉱、新但馬炭鉱、末永炭鉱、高野炭鉱、南山炭鉱、韮山炭鉱、平原炭鉱、古川炭鉱、報国炭鉱、第二丸尾炭鉱、葭ノ浦炭鉱、芳ノ浦炭鉱(芳野浦炭鉱)、吉丸炭鉱、鷲尾炭鉱、ほか多数。

石炭産業の衰亡後は農業を主産業とし、温潤な自然条件を生かして平野部や中山間地では水稲栽培、イチゴ等の栽培が行われている。また、炭鉱閉山や下水道関連設備の整備による佐々川の水質回復もあり、早春のシロウオ漁や毎年6月1日に解禁されるアユ釣りは佐々町の風物詩のひとつとなっている。

名産品

[編集]
  • アユ
  • シロウオ
  • 民吉もなか
  • ふみきり饅頭

主な企業

[編集]

主な商業施設

[編集]
かつて存在した主な商業施設

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

[編集]

名所・旧跡・観光スポット

[編集]
  • 伊能忠敬宿所跡
  • 佐々川
    • 河川公園
    • 桜づつみ
  • 佐々町農業体験施設(旧称:学童農園) - 敷地内の高台や付近にある大岳の山頂からは、九十九島平戸諸島のほか、気象条件次第では五島列島の一部を望む事ができる。
  • 皿山公園
    • 市の瀬皿山窯跡(県指定史跡[18]
    • 菖蒲園
  • 狸山支石墓群(県指定史跡[12]
  • 角山古墳[13]
  • 東光寺
  • 鳥屋城跡[33] - 城辻山の山頂敷地内にが残る。(現:佐々デジタルテレビ中継局)
  • 古川岳(降神岳)展望所
    • 古川岳遊歩道 - 一部の登山道では佐々川衝上断層の露頭部分を見ることができる。
  • 北松炭田の遺構 - 町内各地に炭鉱住宅や廃屋、坑口跡等が残る。散策の際は私有地および崩壊・崩落危険箇所への立ち入り注意。
  • 真竹谷広場
  • 三柱神社
  • 肉弾三勇士北川伍長記念館

祭事・催事

[編集]
  • 駅伝大会(町内駅伝・わかあゆ駅伝) - 1月
  • しろうお祭 - 3月上旬
  • ジョギングフェスティバルinさざ - 3月上旬
  • 皿山まつり - 6月上旬
  • 夏まつり・花火大会 - 8月中旬
  • おくんち - 秋頃

佐々町出身の著名人

[編集]

佐々町を舞台とした作品

[編集]

演劇

[編集]
  • 皿山炎上(1988年) - 劇団テアトルハカタにより上演[34]。市瀬皿山での加藤民吉と福本仁左衛門の娘・いとの悲恋を描いた物語。

テレビドラマ

[編集]

音楽

[編集]

コンピューターゲーム

[編集]

マスメディアでの紹介

[編集]

出典・参考文献および媒体

[編集]
  • 角川日本地名大辞典 42 長崎県
  • 佐々町郷土史
  • 佐々町郷土誌
  • 町制施行70周年記念 長崎県佐々町町勢要覧 2011 資料編
  • 町制施行70周年記念作品「記憶は未来へ 旅をする ~炭鉱・国鉄松浦線とともに~」(DVD)

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 「1免=1町内会」に限らない。小浦免のように1免内に多数の町内会が存在する地域もあれば、皆瀬免の大部分・神田免・八口免の大部分を合わせて神田町内会とするなど、複数の免を合わせて1つの町内会を構成する地域も存在する。1免内に多数の町内会が存在する地域では、免の下位に付随する小字など古来より呼称される地名を町内会の名称に採用している場合が多い。また、宅地造成等の関係で新たに発足した町内会も一部存在する。
  2. ^ 佐々町のほか小佐々町世知原町吉井町佐々川沿岸4自治体。11月に「佐々町・小佐々町法定合併協議会」設置により、事実上の解散となった。なお、世知原町及び吉井町は2005年(平成17年)4月1日に佐世保市に編入して、地方公共団体として消滅した。
  3. ^ もともと町立第3保育所であったが、2011年(平成23年)4月に民営化された。
  4. ^ 1989年、プールや健康ランド等を併設した複合商業施設として開業。2000年代初め頃までは、8月開催の夏まつり(佐々町主催)の際に、メイン会場のひとつとして敷地内を開放していた。親会社の経営破綻を経て2003年にイオングループ傘下となり、店舗名称を変更。マックスバリュとなった現在でも、開業当初から店名変更までの十数年間を知る近隣住民や地元出身者からは「西海ハロー」または単に「ハロー」の愛称で親しまれている。

出典

[編集]
  1. ^ 佐々町のほか、石川県野々市市千葉県印旛郡酒々井町の3市町が該当。(2017年4月1日時点)
  2. ^ a b c d e 第7次佐々町総合計画”. 佐々町. 2024年9月18日閲覧。
  3. ^ a b 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 2001年4月1日
  4. ^ 町の概要 長崎県佐々町
  5. ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1937年2月11日
  6. ^ 町制施行70周年記念 長崎県佐々町町勢要覧2011 資料編 48頁
  7. ^ 大字(旧村名)としての「市瀬」は消滅したかに思えるが、鷲尾岳の山頂に国土地理院が設置している三角点は「市瀬村」の名称で現存する。詳細は基準点成果等閲覧サービスを参照。
  8. ^ 長崎県 > 北松浦郡佐々町 - 日本郵便のサイト内では「すさきめん」と表記。
  9. ^ 長崎県 > 北松浦郡佐々町 - 日本郵便のサイト内では「つのやまめん」と表記。
  10. ^ 長崎県 > 北松浦郡佐々町 - 日本郵便のサイト内では「やくちめん」と表記。
  11. ^ 町制施行70周年記念 長崎県佐々町町勢要覧2011 資料編 5-6頁
  12. ^ a b 佐々町狸山支石墓群 長崎県の文化財
  13. ^ a b 角山古墳 伝統と歴史/佐々町教育委員会
  14. ^ 旧高旧領取調帳による。現町域には他に古川村、志方村、木場村、神田村、江里村などが存在したとされるが、いずれも幕末までに佐々村や市瀬村の一部に含まれたものとみられる。
  15. ^ 「有浦文書」佐賀県史料集成 古文書編第19巻
  16. ^ 尾張国氏族で、戦国時代に著名な武将を輩出している佐々氏(さっさし)との関連はない。
  17. ^ 瀬野精一郎 編『松浦党関係史料集 第3巻』61頁(Googleブックス
  18. ^ a b 市瀬窯跡 長崎県の文化財
  19. ^ 平戸街道 長崎街道・伊能忠敬測量による長崎県内の主な街道
  20. ^ 長崎縣告示第百九十三號『北松浦郡世知原村より佐々村に達する軽便鉄道布設すべき線路測量の件』長崎県公報 明治29年10月2日付
  21. ^ 1967年(昭和42年)7月 佐世保の大雨 長崎地方気象台
  22. ^ ◆佐々町・小佐々町合併協議会◆ 国立国会図書館インターネット資料収集保存事業
  23. ^ 2005年3月20日の福岡県西方沖の地震 福岡管区気象台、2022年12月29日閲覧
  24. ^ 地震情報 2016年4月14日21時26分頃発生 熊本県熊本地方 M6.5 最大震度7 日本気象協会、2022年12月29日閲覧
  25. ^ 地震情報 2016年4月16日1時25分頃発生 熊本県熊本地方 M7.3 最大震度7 日本気象協会、2022年12月29日閲覧
  26. ^ 推計震度分布図気象庁
  27. ^ 平成30年12月 第4回定例会 会議結果(PDF)”. 長崎県佐々町 (2018年12月19日). 2019年1月13日閲覧。
  28. ^ 連携中枢都市圏 佐々町“離脱”へ”. 長崎新聞 (2018年12月21日). 2019年1月13日閲覧。
  29. ^ 「西九州させぼ広域都市圏」に佐々町加入へ【長崎】”. FNN.jpプライムオンライン. 2020年3月19日閲覧。
  30. ^ 「西九州させぼ広域都市圏」佐々町参加 新年度から12市町”. 長崎新聞社 (2020年3月4日). 2020年3月19日閲覧。
  31. ^ 皿山公園 公共施設紹介/長崎県佐々町
    ※2017年6月現在、一部の遊具が老朽化により使用禁止となっている。
  32. ^ 九州及山口県主要炭鉱案内 国立国会図書館デジタルコレクション
  33. ^ 鳥屋城跡 伝統と歴史/佐々町教育委員会
  34. ^ 現代演劇上映記録 詳細情報 早稲田大学演劇博物館
    ※上記リンク先の場所よみ欄に記載の読み仮名は誤りで、正しくは「さざちょうぶんかかいかん」である。
  35. ^ 佐田玲子オフィシャルサイト Reiko Land”. 佐田玲子が長崎県・佐々町の応援大使に就任!. 2017年5月18日閲覧。
  36. ^ 増田順一 (2004年9月9日). “第15回”. 増田部長のめざめるパワー. 株式会社ゲームフリーク. 2017年4月1日閲覧。
  37. ^ ゲームボーイアドバンス版ルビー・サファイア ホウエン地方マップ

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]