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平野優

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
平野優
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都府中市
生年月日 (1990-01-16) 1990年1月16日(34歳)
身長 170.0cm(2017年)
体重 51.0kg(〃)
血液型 B型
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
所属厩舎 美浦・二ノ宮敬宇
初免許年 2010年
免許区分 平地・障害[1]
騎手引退日 2017年12月31日
通算勝利 1219戦29勝
(地方競馬4戦0勝)
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平野 優(ひらの ゆう、1990年1月16日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) の元騎手で、現在は調教助手

来歴

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東京都府中市出身で[2]、小学生の頃から父に連れられ東京競馬場によく遊びに行っていた。中学2年の時に同級生の仲野光馬(現船橋競馬場所属騎手)に誘われ東京競馬場の乗馬センターで乗馬を始めた[3][4]。中学校卒業後、競馬学校第24期生として入学したものの在学中に2年留年したため26期生として卒業[5]。入学時の同期には三浦皇成伊藤工真大江原圭が、卒業時の同期には菅原隆一高倉稜川須栄彦水口優也らがいる。

競馬学校卒業後は美浦トレーニングセンター二ノ宮敬宇厩舎に所属。初騎乗は2010年3月6日中京競馬第3レースでジョウテンデジタルに騎乗し15頭立ての13着。翌日の3月7日、中京競馬第8レースで7番人気アストレーションに騎乗し3戦目で初勝利。26期生の中で最初に勝利を挙げた。2010年は7勝を挙げ、民放競馬記者クラブ賞を受賞した[6]

2011年3月19日、ファルコンステークスで重賞初騎乗(14番人気オヤシオで8着)。2年目は16勝と勝ち星を伸ばした。

2012年4月15日、福島3レースでショウナンアタックに騎乗したが3コーナーで前の馬に触れてつまずき落馬。その際に内臓損傷の重傷を負い、騎乗再開は10月13日まで時間を要した[7]。結果、この年は未勝利に終わった。

2013年5月4日、新潟7レースでルチャドルアスールに騎乗し1年5ヶ月ぶりに勝利。ルチャドルアスールとはその後も20戦以上にわたってコンビを組み、逃げる競馬で計4勝を挙げ、GIIセントウルステークスにも出走した。

2013年6月16日、フランス・シャンティイ競馬場で行われた若手騎手招待競走「ロンジン・フューチャー・レーシング・スター賞」にJRA代表で参戦し海外初騎乗(14頭立て8着)[8]

2017年12月5日、同年12月31日をもって騎手を引退することを発表。現役最後のレースとなった12月28日の中山4Rでは自厩舎の12番人気アドバンスマルスに騎乗し積極的に逃げて3着に入り、「3着に入ることができて悔いのない騎乗ができました。ですが、やっぱり競馬は甘くないということも教わりました」とコメントした[9]。8年間の通算成績は1219戦29勝。

引退後は美浦・伊藤大士厩舎で調教助手となった[10]。元騎手は攻め専への転向が多い中、自ら志願して持ち乗り厩務員を選び[11]、2018年1月6日の中山1Rを担当馬のコウギョウブライトが制し、JRA新年最初のレースを勝利で飾った[12]

人物

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騎手成績

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日付 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 2010年3月6日 3歳未勝利 ジョウテンデジタル 15頭 10 13着
初勝利 2010年3月7日 4歳上500万下 アストレーション 16頭 7 1着
重賞初騎乗 2011年3月19日 ファルコンS オヤシオ 14頭 14 8着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 表彰
2010年 7 12 10 238 .029 .080 .122 民放競馬記者クラブ賞
2011年 16 19 28 487 .033 .072 .129
2012年 0 4 5 178 .000 .022 .051
2013年 4 1 1 109 .037 .046 .055
2014年 1 1 0 64 .016 .031 .031
2015年 1 3 2 55 .018 .073 .109
2016年 0 1 1 46 .000 .022 .043
2017年 0 0 2 42 .000 .000 .048
中央 29 41 49 1219 .024 .057 .098
地方 0 0 1 4 .000 .000 .250

脚注

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参考文献・出典

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関連項目

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