コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

平野長英

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
平野長英
時代 江戸時代中期
生誕 貞享元年(1684年
死没 享保5年7月5日1720年8月8日
別名 通称:亀松丸、右衛門
戒名 仁光
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川綱吉家宣家継吉宗
氏族 平野氏
父母 父:平野長政
兄弟 長英長重、六之助
養兄弟:平野長喜松平盈乗
正室:松平乗真養女[1]
長賢
養子:長暁
テンプレートを表示

平野 長英(ひらの ながふさ)は、江戸時代中期の大和国交代寄合表御衆田原本4代領主。通称亀松丸、右衛門。法名は仁光。

略歴

[編集]

平野長政の長男。正室は松平乗真の養女(本多正種の娘)。兄弟に長重、六之助、養女(平野長喜室)。養子(嫡男、平野長直三男)平野長暁、子に平野長賢(兄長暁養子)。

元禄13年(1700年)12月9日に遺領を相続した。享保2年(1717年)11月、2代領主平野長勝の五十回忌に霊廟を建立した。享保5年に37歳で没した。

脚注

[編集]
  1. ^ 本多正種の娘

参考文献

[編集]