松平乗真
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 貞享3年5月23日(1686年7月13日) |
死没 | 享保元年7月5日(1716年8月21日) |
改名 | 半次郎(幼名)→乗宣(初名)→乗真 |
戒名 | 諦誉凉月永休真巌院 |
墓所 | 東京都港区赤坂の浄土寺 |
官位 | 従五位下縫殿頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉→家宣→家継 |
藩 | 三河大給藩主→三河奥殿藩主 |
氏族 | 本多氏(三弥左衛門家)→大給松平家 |
父母 |
父:本多正種、母:松平乗次養女 養父:松平乗成 |
兄弟 |
乗真、平野長英室 養兄弟:乗賢、伊織、左門 |
妻 |
正室:青木重矩娘 継室:畠山義寧次女 清光院 |
子 |
盈乗 養子:平野長英室 |
松平 乗真(まつだいら のりざね)は、江戸時代中期の大名。三河国大給藩3代藩主。のち三河奥殿藩初代藩主。真次流大給松平家4代。
生涯
[編集]貞享3年(1686年)5月23日(貞享元年(1684年)とも)、800石の旗本である本多正種(本多正貫の孫)の長男として誕生。母が初代藩主・松平乗次の養女であり、2代藩主・乗成の実子・乗賢が早世したことから、元禄16年(1703年)に乗成が死去するとその養子となって家督を継いだ。
宝永6年(1709年)3月7日、従五位下・縫殿頭に叙位・任官する。正徳元年(1711年)4月28日、藩庁を碧海郡奥殿村(現在の愛知県岡崎市奥殿町)に移したため、奥殿藩主となる。藩政では説田猪右衛門を登用して藩政改革を行なった。また、日光祭祀奉行や江戸城御門番などを歴任した。
享保元年(1716年)7月5日に死去した。享年31。跡を長男・盈乗が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室、継室
側室
- 清光院
子女
- 松平盈乗(長男)生母は清光院(側室)
養子