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青木重矩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
青木重矩
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛文5年(1665年
死没 享保14年3月27日1729年4月24日
改名 源五郎(幼名)、重矩
別名 民部(通称
戒名 了心院殿雄山元英大居士
官位 従五位下甲斐守
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉家宣家継
摂津麻田藩
氏族 青木氏
父母 青木重正青木重兼娘マン
兄弟 直政重矩、長女、朝倉景孝
加藤明教、源三郎
戸沢正誠
一典松平乗真正室
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青木 重矩(あおき しげのり)は、江戸時代前期から中期にかけての大名摂津国麻田藩の第4代藩主。官位従五位下甲斐守

生涯

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寛文5年(1665年)、3代藩主・青木重正の次男として誕生した。母が第2代藩主・青木重兼の娘であり重正の正室であったことから嫡子とされた。重正は朝倉氏出身(朝倉宣親の子)の婿養子であり、妾腹の子で元来の青木家の血を引かない長男の直政は分家の青木直澄の養嗣子となっていた。

元禄6年(1693年)、父の死去により跡を継いだ。正徳3年(1713年)閏5月22日、長男の一典に家督を譲って隠居した。

享保14年(1729年)3月27日、死去。享年65。

系譜

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