青木重矩
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 寛文5年(1665年) |
死没 | 享保14年3月27日(1729年4月24日) |
改名 | 源五郎(幼名)、重矩 |
別名 | 民部(通称) |
戒名 | 了心院殿雄山元英大居士 |
官位 | 従五位下・甲斐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉、家宣、家継 |
藩 | 摂津麻田藩主 |
氏族 | 青木氏 |
父母 | 青木重正、青木重兼娘マン |
兄弟 |
直政、重矩、長女、朝倉景孝、 加藤明教、源三郎 |
妻 | 戸沢正誠娘 |
子 | 一典、松平乗真正室 |
青木 重矩(あおき しげのり)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。摂津国麻田藩の第4代藩主。官位は従五位下・甲斐守。
生涯
[編集]寛文5年(1665年)、3代藩主・青木重正の次男として誕生した。母が第2代藩主・青木重兼の娘であり重正の正室であったことから嫡子とされた。重正は朝倉氏出身(朝倉宣親の子)の婿養子であり、妾腹の子で元来の青木家の血を引かない長男の直政は分家の青木直澄の養嗣子となっていた。
元禄6年(1693年)、父の死去により跡を継いだ。正徳3年(1713年)閏5月22日、長男の一典に家督を譲って隠居した。