青木重龍
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政12年5月18日(1800年7月9日) |
死没 | 安政5年8月6日(1858年9月12日) |
改名 | 源五郎(幼名)、重龍 |
戒名 | 龍光院殿天性本瑞大居士 |
官位 | 従五位下・民部少輔、内膳正、美作守、駿河守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉、家慶 |
藩 | 摂津麻田藩主 |
氏族 | 青木氏 |
父母 | 青木一貞 |
兄弟 | 重龍、谷衛昉、一興、鏗ら |
妻 | 森忠賛娘鏈 |
子 |
重義ら 一興 |
青木 重龍(あおき しげたつ)は、江戸時代後期の大名。摂津国麻田藩の第11代藩主。官位は従五位下・内膳正、美作守、駿河守。
略歴
[編集]寛政12年(1800年)、第10代藩主・青木一貞の長男として誕生した。
文政4年(1821年)7月11日、一貞の隠居により家督を継いだ。同年12月16日、従五位下・民部少輔に叙任する。後に内膳正、美作守、駿河守に改める。弘化4年(1847年)11月23日、弟の一興に家督を譲って隠居した。最後の藩主(14代)となった実子の重義は隠居後に生まれている。