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青木重龍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
青木重龍
時代 江戸時代後期
生誕 寛政12年5月18日1800年7月9日
死没 安政5年8月6日1858年9月12日
改名 源五郎(幼名)、重龍
戒名 龍光院殿天性本瑞大居士
官位 従五位下民部少輔内膳正美作守駿河守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉家慶
摂津麻田藩
氏族 青木氏
父母 青木一貞
兄弟 重龍谷衛昉一興、鏗ら
森忠賛
重義
一興
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青木 重龍(あおき しげたつ)は、江戸時代後期の大名摂津国麻田藩の第11代藩主。官位従五位下内膳正美作守駿河守

略歴

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寛政12年(1800年)、第10代藩主・青木一貞の長男として誕生した。

文政4年(1821年)7月11日、一貞の隠居により家督を継いだ。同年12月16日、従五位下・民部少輔に叙任する。後に内膳正、美作守、駿河守に改める。弘化4年(1847年)11月23日、弟の一興に家督を譲って隠居した。最後の藩主(14代)となった実子の重義は隠居後に生まれている。

安政5年(1858年)、死去。享年59。

系譜

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