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青木一新

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
青木一新
時代 江戸時代中期
生誕 享保13年(1728年
死没 天明元年5月20日1781年6月11日
別名 主税(通称
戒名 善応院殿心珠衍明大居士
墓所 東京都港区白金台の瑞聖寺
官位 従五位下美濃守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家重家治
摂津麻田藩
氏族 青木氏
父母 青木一典青木見典
兄弟 一都見典一新加藤明義室、寅太郎、亀三郎、井上正岑下間頼寛下間仲一
久留島光通
一在、お薗ら5男1女[1]
一貴
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青木 一新(あおき かずよし)は、江戸時代中期の大名摂津国麻田藩の第8代藩主。官位従五位下美濃守

生涯

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享保13年(1728年)、第5代藩主・青木一典の三男として麻田で誕生した。宝暦4年(1754年)8月25日、兄で先代藩主の見典の早世により、末期養子として家督を相続した。同年11月1日、江戸幕府9代将軍徳川家重御目見する。同年12月18日、従五位下・美濃守に叙任する。

明和7年(1770年)7月26日、隠居して婿養子の一貫に家督を譲った。天明元年(1781年)5月20日、死去。享年54。

系譜

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5男1女[1]をもうけながらも、長男の一在を初めとする多くの子女たちに早世された。当初、陸奥国弘前藩主・津軽信寧の弟・好古を養子に迎えようとしたものの、交渉がまとまらなかった。次いで伊予国宇和島藩と交渉し、藩主・伊達村候の三弟・村銘(後の一貫)を婿養子として迎えることになった。一説には、次女は一貫の養女となり、渡辺春綱に嫁いだという。

脚注

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  1. ^ a b 寛政重修諸家譜』。2女との説もある。