青木一新
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保13年(1728年) |
死没 | 天明元年5月20日(1781年6月11日) |
別名 | 主税(通称) |
戒名 | 善応院殿心珠衍明大居士 |
墓所 | 東京都港区白金台の瑞聖寺 |
官位 | 従五位下・美濃守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家重、家治 |
藩 | 摂津麻田藩主 |
氏族 | 青木氏 |
父母 | 青木一典、青木見典 |
兄弟 | 一都、見典、一新、加藤明義室、寅太郎、亀三郎、井上正岑、下間頼寛、下間仲一 |
妻 | 久留島光通娘 |
子 |
一在、お薗ら5男1女[1] 一貴 |
青木 一新(あおき かずよし)は、江戸時代中期の大名。摂津国麻田藩の第8代藩主。官位は従五位下・美濃守。
生涯
[編集]享保13年(1728年)、第5代藩主・青木一典の三男として麻田で誕生した。宝暦4年(1754年)8月25日、兄で先代藩主の見典の早世により、末期養子として家督を相続した。同年11月1日、江戸幕府9代将軍・徳川家重に御目見する。同年12月18日、従五位下・美濃守に叙任する。
明和7年(1770年)7月26日、隠居して婿養子の一貫に家督を譲った。天明元年(1781年)5月20日、死去。享年54。
系譜
[編集]5男1女[1]をもうけながらも、長男の一在を初めとする多くの子女たちに早世された。当初、陸奥国弘前藩主・津軽信寧の弟・好古を養子に迎えようとしたものの、交渉がまとまらなかった。次いで伊予国宇和島藩と交渉し、藩主・伊達村候の三弟・村銘(後の一貫)を婿養子として迎えることになった。一説には、次女は一貫の養女となり、渡辺春綱に嫁いだという。