松平乗久
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永10年2月20日(1633年3月29日) |
死没 | 貞享3年7月17日(1686年9月4日) |
改名 | 源次郎(幼名)、乗久 |
墓所 | 東京都港区愛宕の天徳寺 |
官位 | 従四位下、和泉守、宮内少輔 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱、綱吉 |
藩 | 上野館林藩主、下総佐倉藩主、肥前唐津藩主 |
氏族 | 大給松平家 |
父母 | 父:松平乗寿、母:赤城氏 |
兄弟 | 乗久、乗政、乗員、増山正利正室、松平乗親正室、小笠原長宣正室、貞安院ら |
妻 | 水野忠善の娘 |
子 | 忠尚、乗春、安乗、明乗、乗門、乗清、好乗、乗重、忠泰、稲葉正相、松平近苗正室、松平乗包正室 |
松平 乗久(まつだいら のりひさ)は、江戸時代前期の大名。上野国館林藩2代藩主、のち下総国佐倉藩主、肥前国唐津藩初代藩主。大給松平家宗家8代。官位は従四位下・和泉守、宮内少輔。
略歴
[編集]寛永10年(1633年)、館林藩主・松平乗寿の長男として誕生。承応3年(1654年)、父の死去により家督を継ぐ。このとき、和泉守から宮内少輔に遷任した。寛文元年(1661年)閏8月、下総佐倉へ移封され、延宝6年(1678年)1月23日に肥前唐津へ移封となった。
貞享3年(1686年)7月17日に江戸で死去した。享年54。跡を次男・乗春が継いだ。
系譜
[編集]父母
- 松平乗寿(父)
- 赤城氏 ー 側室(母)
正室
- 水野忠善の娘
子女
- 松平忠尚(長男)生母は正室[注釈 1]
- 松平乗春(次男)生母は正室
- 松平忠泰(九男)[注釈 2]
- 松平安乗
- 松平明乗
- 松平乗門
- 松平乗清
- 松平守惇
- 松平忠順
- 松平好乗
- 松平乗重
- 稲葉正相
- 松平近苗正室
- 松平乗包正室
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
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