横手市立醍醐小学校
横手市立醍醐小学校 | |
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北緯39度15分1.15秒 東経140度32分2.51秒 / 北緯39.2503194度 東経140.5340306度座標: 北緯39度15分1.15秒 東経140度32分2.51秒 / 北緯39.2503194度 東経140.5340306度 | |
過去の名称 |
醍醐学校 醍醐尋常小学校 醍醐尋常高等小学校 醍醐国民学校 平鹿町立醍醐小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 横手市 |
設立年月日 | 1874年[1] |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B105220318145 |
校舎面積 | 4,767.97m2(延床面積)[2] |
所在地 | 〒013-0102 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
横手市立醍醐小学校(よこてしりつ だいごしょうがっこう)は、秋田県横手市平鹿町醍醐にある公立小学校[3]。
沿革
[編集]略歴
[編集]醍醐小学校の起源となるのは、1874年8月に開校した「醍醐学校」であり、旧醍醐村(町村制以前)内の家宅の一部を譲り受けて設置された[4]。その後、同年10月に「下醍醐学校」、12月に「明沢学校」 [5]、1876年9月に「馬鞍学校」が [6]、醍醐地区の各地に設置された[7]。下醍醐学校は1876年に廃止され「徳英学校」となるが、1879年にはこちらも廃止された[7]。1877年には「樋ノ口学校」が設置[8]、1883年には沖田分校を[9]置いた[10]。
1887年に醍醐尋常小学校が誕生した際、明沢・馬鞍・樋ノ口は醍醐尋常小の分教場となり、同時に沖田分校は廃止された(1892年に再設置)[10]。分校については、1954年の馬鞍・沖田分校廃止を皮切りに[6][9]、1969年には明沢分校が廃止[5]、最後に残った樋ノ口分校は1995年に廃止され[8]、醍醐小の分校は消滅した[11]。
校舎が現在地に移転してきたのは1954年で、この際に現行の校歌も制定されている[1]。
校名の遷移については、1887年に小学校令公布により「醍醐尋常小学校」へ、1892年には小学校令改正により「醍醐尋常高等小学校」へ[12]、1941年には国民学校令により「醍醐国民学校」になるが[13]、終戦後に小学校へと戻った。1957年には醍醐村が平鹿町へ編入し、校名に「平鹿町立」を冠するようになった。また、2005年の横手市への合併により「横手市立」を冠するようになった。
年表
[編集]以下、注釈の無い項目は平鹿町史によるもの[14]。
- 1874年
- 1876年
- 9月1日 - 「馬鞍学校」が開校。
- 11月 - 下醍醐学校を廃止し、「徳英学校」を設置。
- 1877年6月15日 - 「樋ノ口学校」を善福寺に開校。
- 1879年11月 - 徳英学校を廃止する。
- 1883年3月31日 - 樋ノ口学校沖田分校を設置。
- 1887年4月1日 - 第一次小学校令により「醍醐尋常小学校」と改称。明沢・馬鞍・樋ノ口分校を設置し、沖田分校を廃止。
- 1888年
- 1890年3月2日 - 再び馬鞍分校を設置。
- 1892年
- 1898年10月9日 - 校舎を新築し、開校式を挙行。
- 1901年4月 - 沖田分教室を「沖田分教場」へ改称。
- 1904年1月 - 沖田分教場を「沖田尋常小学校」と改称。
- 1911年
- 1954年3月31日 - 馬鞍・沖田分教場を廃止。
- 1954年
- 1957年4月1日 - 醍醐村が平鹿町に編入し、「平鹿町立醍醐小学校」と改称。
- 1969年8月20日 - 明沢分教場を廃止。
- 1978年11月9日 - 体育館竣工記念式典挙行。
- 1980年7月12日 - 新校舎(現在の校舎)竣工。11月29日には食堂が竣工。
- 鉄筋コンクリート構造3階建ての校舎棟と鉄骨構造平屋建ての体育館棟で構成される[2]。
- 2005年10月1日 - 市町村合併により「横手市立醍醐小学校」となる[1]。
- 2024年4月 - 複数担任制の試験導入を開始[15]。市内では他に十文字中と大雄小で実施[15]。
児童数の変遷
[編集]年 | 児童数 |
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1897年(明治30年) | 304
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1902年(明治35年) | 449
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1907年(明治40年) | 351
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1912年(大正元年) | 743
|
1916年(大正5年) | 675
|
1921年(大正10年) | 784
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1926年(昭和元年) | 789
|
1930年(昭和5年) | 854
|
1935年(昭和10年) | 923
|
1941年(昭和16年) | 991
|
1946年(昭和21年) | 1,021
|
1950年(昭和25年) | 921
|
1955年(昭和30年) | 901
|
1960年(昭和35年) | 1,030
|
1965年(昭和40年) | 770
|
1970年(昭和45年) | 578
|
1974年(昭和49年) | 444
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分校の一覧
[編集]校名 | 住所(当時) | 学区(集落名) | 閉校年 | 出典 |
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明沢(あけさわ)分校 | 秋田県平鹿郡平鹿町醍醐字明沢 | 明沢・釜ノ川 | 1969年 | [5] |
馬鞍(まぐら)分校 | 秋田県平鹿郡平鹿町醍醐字三島 | 三島・馬鞍・阿弥陀田 | 1954年 | [6] |
樋ノ口(ひのくち)分校 | 秋田県平鹿郡平鹿町醍醐字樋ノ口村下 | 樋ノ口・荒処・本堂 | 1955年 | [8] |
沖田(おきだ)分校 | 秋田県平鹿郡平鹿町醍醐字古館 | 沖田・田ノ新戸・萩ノ目・石ノ塔・藤島 | 1954年 | [9] |
校歌
[編集]- 作詞:柿崎紅果
- 作曲:柿崎かくじ
歌詞などは学校の公式サイトを参照[17]。
通学区域
[編集]進学先中学校
[編集]周辺
[編集]アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d “沿革”. よこてをつなごう. 醍醐小学校. 横手市教育委員会. 2021年10月17日閲覧。
- ^ a b 「【秋田】醍醐小改修に2カ年継続費3.3億円/吉田小の改修設計費なども計上」『秋田建設工業新聞社』2024年2月14日。2024年12月18日閲覧。
- ^ “横手市立学校設置条例”. 横手市 (2005年10月1日). 2023年4月20日閲覧。
- ^ 平鹿町史編纂 1984, p. 1081.
- ^ a b c 佐藤 2001, p. 252.
- ^ a b c 佐藤 2001, p. 250.
- ^ a b 平鹿町史編纂 1984, p. 1083.
- ^ a b c 佐藤 2001, p. 246.
- ^ a b c 佐藤 2001, p. 248.
- ^ a b 平鹿町史編纂 1984, p. 1084.
- ^ 平鹿町史編纂 1984, p. 1085.
- ^ 平鹿町史編纂 1984, p. 1049.
- ^ 平鹿町史編纂 1984, p. 1070.
- ^ 平鹿町史編纂 1984, pp. 1083–1086.
- ^ a b 「複数担任制を試験導入、横手市3小中学校 1週間ごとに担任を交代」『秋田魁新報』秋田魁新報社、2024年7月31日。2024年7月31日閲覧。
- ^ 記念事業実行 1974, p. 49.
- ^ “校歌”. よこてをつなごう. 醍醐小学校. 横手市教育委員会. 2023年4月20日閲覧。
- ^ “横手市立小中学校通学区域に関する規則”. 横手市 (2022年5月17日). 2023年4月20日閲覧。
- ^ “在籍数一覧、市立小中学校の学区等”. 横手市 (2021年9月28日). 2021年10月17日閲覧。
参考文献
[編集]- 平鹿町立醍醐小学校創立百周年 記念事業実行委員『創立百周年記念雑誌』増田印刷所、1974年。
- 平鹿町史編纂委員会『平鹿町史』平鹿町、1984年。
- 佐藤晃之輔『秋田・消えた分校の記録』無明舎出版、2001年。