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広丙 (防護巡洋艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
広丙から転送)
呉軍港に停泊中の「広丙」
艦歴
建造所 福州船政局馬尾造船所
起工
進水 1891年4月11日
竣工 1892年
1895年3月16日、日本海軍軍艦籍へ
喪失 1895年12月21日座礁
除籍 1896年2月18日
要目
排水量 常備:1,000トン
全長 垂線間長:264フィート(80.47m
全幅 26フィート4インチ(8.03m)
吃水 11フィート6インチ(3.51m)
機関 石炭専焼円缶2基
レシプロ2基
2軸 2,400 馬力 
速力 17.0ノット
航続距離 不明
燃料搭載量
乗員 不明
兵装 40口径12cm単装速射砲3門(黄海海戦時15cm単装砲3門)
57mm単装速射砲4門
37mm5連装回転式機砲4門
38.1cm魚雷発射管4基
その他 信号符字:GQHL(1895年〜)[1]

広丙(こうへい、廣丙)は、清国海軍防護巡洋艦広乙級の2番艦。日清戦争の際に降伏、日本海軍に編入され、新鋭艦として期待されていたが、1年足らずで座礁、沈没した。

艦歴

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艦長

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清国海軍
  • 林承謨:1891年4月26日 - 1892年秋
  • 程璧光:1892年秋 - 1895年2月17日
日本海軍

脚注

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  1. ^ #信号符字点附 画像1『四月四日 軍艦須磨其他ノ艦舩ヘ點附ノ信號符字 逓信省告示 ○逓信省告示第七十一號 軍艦須磨其他ノ艦船ヘ點附ノ信號符字ハ左ノ如シ 明治二十八年四月四日 逓信大臣渡邊国武 信号符字 艦船名 … GQHL 廣丙 Ko-hei. …(以下略)…』
  2. ^ #編入 画像1『三月十六日 捕獲清國軍艦鎮遠以下十艘ヲ帝國軍艦トス 海軍省達 ○海軍省遠第十六號 捕護清國軍艦鎭遠、濟遠、平遠、廣丙、鎭東、鎭西、鎭南、鎭北、鎭中、鎭邊ノ十艘ヲ帝國軍艦ト定メラル 明治二十八年三月十六日 海軍大臣伯爵西郷從道』
  3. ^ #公文備考C儀制巻9 画像2『事件 発端ノ日 場所 起因 … 軍艦廣丙沈没 明治二十八年十二月二十一日 澎湖島沖 危険ニ非ズト信シ速力ヲ緩メザリシ為澎湖島沖ニ於テ坐礁沈没』
  4. ^ 『日本海軍史』第10巻、398頁。

参考文献

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  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第5巻 重巡I』(光人社、1989年) ISBN 4-7698-0455-5
  • 福井静夫『福井静夫著作集第4巻 日本巡洋艦物語』新装版(光人社、2008年)ISBN 978-4-7698-1394-1
  • 福井静夫『福井静夫著作集第8巻 世界巡洋艦物語』(光人社、1994年)ISBN 4-7698-0656-6
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 陳悦 『清末海軍艦船志』(山東画報、2012年) ISBN 9787547405345
  • アジア歴史資料センター(公式)
    • 『公文類聚・第十九編・明治二十八年・第二十四巻・軍事二・陸軍二・海軍:捕獲清国軍艦鎮遠以下十艘ヲ帝国軍艦トス』。Ref.A01200839500。 
    • 『公文類聚・第十九編・明治二十八年・第二十七巻・交通(郵便~船車):軍艦須磨其他ノ艦船ヘ点附ノ信号符字』。Ref.A15113036900。 
    • 『公文備考 C儀制 巻9:神社祭神神避原因其の他調査に関する件』。Ref.C04016574900。 

関連項目

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外部リンク

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