広丙 (防護巡洋艦)
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(広丙から転送)
艦歴 | |
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建造所 | 福州船政局馬尾造船所 |
起工 | |
進水 | 1891年4月11日 |
竣工 | 1892年 1895年3月16日、日本海軍軍艦籍へ |
喪失 | 1895年12月21日座礁 |
除籍 | 1896年2月18日 |
要目 | |
排水量 | 常備:1,000トン |
全長 | 垂線間長:264フィート(80.47m) |
全幅 | 26フィート4インチ(8.03m) |
吃水 | 11フィート6インチ(3.51m) |
機関 | 石炭専焼円缶2基 レシプロ2基 2軸 2,400 馬力 |
速力 | 17.0ノット |
航続距離 | 不明 |
燃料搭載量 | |
乗員 | 不明 |
兵装 | 40口径12cm単装速射砲3門(黄海海戦時15cm単装砲3門) 57mm単装速射砲4門 37mm5連装回転式機砲4門 38.1cm魚雷発射管4基 |
その他 | 信号符字:GQHL(1895年〜)[1] |
広丙(こうへい、廣丙)は、清国海軍の防護巡洋艦。広乙級の2番艦。日清戦争の際に降伏、日本海軍に編入され、新鋭艦として期待されていたが、1年足らずで座礁、沈没した。
艦歴
[編集]- 1891年(光緒17年)4月11日 清国の福州船政局馬尾造船所で進水。
- 1892年(光緒18年) 広丙(Kwang-Ping)として竣工、広東水師に所属。
- 1894年(光緒20年・明治27年)
- 1895年(明治28年)
- 1896年(明治29年)2月18日 除籍
艦長
[編集]- 清国海軍
- 林承謨:1891年4月26日 - 1892年秋
- 程璧光:1892年秋 - 1895年2月17日
- 日本海軍
脚注
[編集]- ^ #信号符字点附 画像1『四月四日 軍艦須磨其他ノ艦舩ヘ點附ノ信號符字 逓信省告示 ○逓信省告示第七十一號 軍艦須磨其他ノ艦船ヘ點附ノ信號符字ハ左ノ如シ 明治二十八年四月四日 逓信大臣渡邊国武 信号符字 艦船名 … GQHL 廣丙 Ko-hei. …(以下略)…』
- ^ #編入 画像1『三月十六日 捕獲清國軍艦鎮遠以下十艘ヲ帝國軍艦トス 海軍省達 ○海軍省遠第十六號 捕護清國軍艦鎭遠、濟遠、平遠、廣丙、鎭東、鎭西、鎭南、鎭北、鎭中、鎭邊ノ十艘ヲ帝國軍艦ト定メラル 明治二十八年三月十六日 海軍大臣伯爵西郷從道』
- ^ #公文備考C儀制巻9 画像2『事件 発端ノ日 場所 起因 … 軍艦廣丙沈没 明治二十八年十二月二十一日 澎湖島沖 危険ニ非ズト信シ速力ヲ緩メザリシ為澎湖島沖ニ於テ坐礁沈没』
- ^ 『日本海軍史』第10巻、398頁。
参考文献
[編集]- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第5巻 重巡I』(光人社、1989年) ISBN 4-7698-0455-5
- 福井静夫『福井静夫著作集第4巻 日本巡洋艦物語』新装版(光人社、2008年)ISBN 978-4-7698-1394-1
- 福井静夫『福井静夫著作集第8巻 世界巡洋艦物語』(光人社、1994年)ISBN 4-7698-0656-6
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 陳悦 『清末海軍艦船志』(山東画報、2012年) ISBN 9787547405345
- アジア歴史資料センター(公式)
- 『公文類聚・第十九編・明治二十八年・第二十四巻・軍事二・陸軍二・海軍:捕獲清国軍艦鎮遠以下十艘ヲ帝国軍艦トス』。Ref.A01200839500。
- 『公文類聚・第十九編・明治二十八年・第二十七巻・交通(郵便~船車):軍艦須磨其他ノ艦船ヘ点附ノ信号符字』。Ref.A15113036900。
- 『公文備考 C儀制 巻9:神社祭神神避原因其の他調査に関する件』。Ref.C04016574900。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 北洋水師(中文)