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広島ユースホステル

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広島ユースホステル
Hiroshima Youth Hostel
前景が跡地
所在地 〒732-0068
広島県広島市東区
牛田新町1丁目13-6
座標 北緯34度25分13.5秒 東経132度28分5.3秒 / 北緯34.420417度 東経132.468139度 / 34.420417; 132.468139座標: 北緯34度25分13.5秒 東経132度28分5.3秒 / 北緯34.420417度 東経132.468139度 / 34.420417; 132.468139
分類 公営
所有者 広島市
指定管理者 日本ユースホステル協会(2006年-)・NPO法人青少年共育活動協会(2010年4月-)
定員 104人
特記施設 室内プール
開館 1958年
休館 (長期) 2012年4月- [1]
閉館 2013年3月29日[2]
公式サイト www.e-yh.net/hiroshima - ウェイバックマシン(2012年1月18日アーカイブ分)
旧公式サイト www.ttec.co.jp/~hyh - ウェイバックマシン(2010年3月23日アーカイブ分)
関連サイト JYH協会内ページ
地図
テンプレート

広島ユースホステル(ひろしまユースホステル)は日本ユースホステル協会に加盟していた広島県ユースホステル。広島市の北部、牛田にある標高約250mの丘陵神田山にあり、「ユースホステル神田山」「神田山ユースホステル」とも呼ばれた[3]。広島市の平和学習の拠点としても機能していたが、2012年に休館となり、2013年3月29日に廃止された。

歴史

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前史

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ユースホステル入口に建てられた「淺野山」の碑。「昭和三十五年 この地にユースホステルを建設し」の記載がある。

ユースホステルがあった牛田新町の一帯は、もともと広島藩主を務めた浅野家の私有地であった。1943年に浅野家第14代当主の浅野長武が青少年育成のために土地を市に寄付したが、戦時中のため活用はされなかった[4][5]。ユースホステルや小・中・高等学校などが整備された後、一帯は「浅野山」と名付けられ、記念碑が建てられている[6]

開館

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戦後、1958年から青少年の健全旅行推進のため、各地で公営のユースホステルが建設された[7][8]。広島では何箇所か候補地が挙がったものの、市街地の眺望がよいことから浅野家の元所有地が選ばれた[9]。市は「一帯をユース・センターにし、将来は中学校も建てる」と構想を説明した[10]。この土地は市有地であったが、地内で耕作する地元民がいたため、市は補償金を出して離作させた[11][12]

建設は熊谷組が請け負い[13]、工事が進められた。建物は収容人員54人、1階が女子、2階が男子の宿泊室となっている構造で[14]、総工費1780万円を投じて建設された[15]浜井信三広島市長の呼びかけで広島県ユースホステル協会も作られ[16]、1960年2月27日に発足すると100人が申し込んだ[17]

1960年5月28日に開所式が行われた[18][19]。式では浜井が「ここに集う若い人たちの間から平和を築き上げる力が盛り上がることを期待したい」と述べた[20]。開所日には来日した訪日マラヤ青年団12人が招かれて宿泊した[20]。6月1日から一般の利用が始まったが、開所時点で6月分は既に満員となっている日もある盛況であった[15]。市はこの年「広島ユース・ホステル条例」を定め[21]、市観光課が管轄した[22]

1961年3月には西ドイツの国際ユースホステル協会の副会長が訪問、広島ユースホステルに1000マルクを贈った。寄付金で周辺に「ドイツの森」を作ることになり、1962年11月5日に植樹祭が開かれた。この日は駐日ドイツ大使が広島ユースホステルを訪問、大使も1000マルクを寄付するとともに、ホステルの西側斜面に自らドイツモミを植樹した[23][24]。1963年には国際ユースホステル協会の幹部が再度来日し、森の成長を確認した[25]

拡充

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1963年には東京オリンピックによる海外からの利用客増を見込んで別館「山の家」が建てられた[26][27]。1964年に市はユースホステルにプールを建設する計画を打ち出した。市は失業対策事業として昭和35年(1960年)度から小中学校へのプール建設を進めており[28][29]、その最終段階としてユースホステルもプールを建設しようというものであった[30]。小学校にもプールがないところがあるのに、ユースホステルにプールを作って誰が利用するのか、と反対する意見も出たが[31]、プール建設は当初からユースホステルの計画に含まれており、山の家と合わせて建設を検討したのでこの時期になった、と浜井は反論した[32]。プールが開設されると、ユースホステル利用者以外にも時間を定めて開放され、小中学生で賑わった。

1970年5月31日には10周年記念式が行われた[33]。このころが最盛期で、1972年度には2万5600人が利用した[34]。1976年から運営は日本ユース・ホステル協会に委託された[35]

外国人利用者の増加

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開所当初から外国人の利用は多かったが[36]、1990年代からは外国人利用者が増え、1991年度は利用者は外国人が半分以上を占めた。この比率は西日本で最も高く[37]、その後も外国人利用者は徐々に増加[38]、来館者の国籍は50箇国を超えるまでになった[39]1994年の広島アジア大会を機に、地元のボランティアグループが訪れ、外国人利用者に英語で話しかけて交流を持つようになった[40]。2003年には国際ユースホステル連盟が選定する「平和学習センター」に選ばれ、一定期間ボランティアが宿泊客に広島の平和運動を解説する活動を行った[41]。2005年10月からは「平和と国際交流の夕べ」として被爆者が外国人宿泊者に体験を語る交流会が毎月開かれるようになった[42]。ユースホステル自体が低調な中、8月の「広島原爆の日」前後は満員状態になるようになった[43]

指定管理者制度の導入

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2006年、広島市は指定管理者制度を導入し、それまで市からの委託の形で広島ユースホステルを運営していた日本ユース・ホステル協会が指定管理者となった[44]。指定管理者の公募には2つの団体が応募していたが、夕食時間を拡大する、という提案が評価され日本ユース・ホステル協会が選定された[45]

しかし指定以降、協会はコスト削減のため希望者が9人以下の場合は食事提供を断っていたことがわかり、基本協定違反として市は協会に指導を行った[46]。また指定管理者制度の導入に伴い経費節減が必要として、2006年12月に協会は食堂業務担当の職員に雇用契約を更新しない方針を通告し、この職員が地位保全の仮処分を申請した。2008年1月に広島高裁は「経費削減を厳密に行えば雇用は維持できる」として、職員の地位を認める決定をした[47]。この件の審議過程で、協会は独自会計の食堂会計ではなく、市が委託料を支払う管理会計をこの職員への給与に充てていたことがわかり、市が協会に流用分の返還を求める事態となった[48]。協会は人件費の返還を約束したものの、市議会ではこのまま協会を指定管理者としておいてよいのか、という指摘も出た[49]。日本ユース・ホステル協会の管理は続いたものの、2010年4月からは下関市の特定非営利活動法人青少年共育活動協会が行うことになった。

廃止

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広島ユースホステルの入口となっていた道路(2019年)

2011年に東日本大震災が発生すると被災者の受け入れを行った[50][51]。しかし震災を機に外国人利用者は激減[34]、2012年1月に青少年共育活動協会が指定管理者辞退を申し出て、4月から休館した[52][53]。元職員や地元住民は「存続推進の会」を結成して署名を集め[54][55]、存続を求める要望書と署名を6月に市に提出し[56][57]、市議会にも再開請願書を提出した[58]。市は建て替えや改修での再開を検討したが、建て替えには5億円、改修には4億円の費用がかかることを判明し、利用客の増加も見込めないことから、2013年に廃止の方針を打ち出した[34][59]。結局運営を再開しないまま、4月1日で廃止された[60]

広島市は「広島ピースホステルネットワーク」を発足させ、それまで広島ユースホステルが果たしてきた平和学習の場としての機能を、民間のユースホステルやゲストハウスの協力で実現することにした[61]。ネットワークには2017年時点で市内8軒の宿泊施設が加盟している[62]

設備

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  • 宿泊室 19室
    • 2人用 4室
    • 4人用 1室
    • 6人用 11室
    • 8人用 2室
    • 10人用 1室
  • 室内プール 20m×10m
  • 駐車場 約50台
  • 集会室
  • 食堂
  • 浴室

「広島ユース・ホステル利用案内」『広島ユース・ホステル30年の歩み』44ページによる。

利用実績

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年度別利用実績
年度 利用者数(人) 利用率
(%)
日本人 外国人
1960 4599 190 4789 31.4
1961 7668 590 8258 41.9
1962 9011 461 9472 48.0
1963 10373 356 10729 57.1
1964 11919 805 12724 47.2
1965 15605 930 16535 45.3
1966 17076 984 18060 47.6
1967 19365 1313 20678 54.3
1968 19322 1780 21102 55.6
1969 21227 1573 22800 60.1
1970 18815 5268 24083 63.4
1971 22207 2401 24608 64.8
1972 23058 2588 25646 64.6
1973 17296 2118 19414 51.1
1974 14504 1986 16490 43.4
1975 12813 2272 14455 38.1
1976 12506 2137 14643 38.6
1977 11006 1928 12934 33.9
1978 11202 1789 12991 34.2
1979 12428 1760 14188 37.4
1980 13198 2010 15208 40.0
1981 12495 3005 15500 40.8
1982 11227 4077 15304 40.3
1983 10747 4480 15227 40.0
1984 10204 5853 16057 42.3
1985 9933 6125 16058 42.3
1986 10850 5938 16788 44.2
1987 10814 5500 16314 42.9
1988 9830 5396 15226 40.1
1989 8192 5965 14157 37.3
1990 6986 7340 14326
2005 8218 5332 13550 35.7
2006 8638 4480 13118 34.6
2007 8050 5577 13627 35.9
2008 8592 6177 14769 38.8
2009 7557 5201 12758 33.6
2010 8075 3274 11349 29.9
2011 8260 1051 9311 24.5
2012 1803 161 1964 20.8

1989年までは「広島ユース・ホステル年度別利用実績一覧表(昭和35年度〜平成元年度)」『広島ユース・ホステル30年の歩み』27-28ページによる。以降は『広島市観光概況』広島市都市活性化局観光交流部による。

アクセス

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広島高速交通広島新交通1号線(アストラムライン)牛田駅下車。

  • 運営がなされていた当時山陽本線・アストラムライン新白島駅は未開業。このため、広島駅から向かう場合は高陽団地方面行きバス(牛田新町1丁目下車)に乗車するか、バス・路面電車で紙屋町本通方面へ一旦出てアストラムラインへ乗り継ぐ必要があった。

脚注

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  1. ^ 公式Twitter
  2. ^ 公式Twitter
  3. ^ 「ユースホステル神田山 広島市内」『若人の新しい旅―ユースホステル・国民宿舎を中心に―』日本交通公社、1960年、148-149ページ。
  4. ^ S・N「わが町紹介(46) 浅野山(新町1丁目)」『牛田ニュース』第53号、1985年9月。
  5. ^ 「浅野山」『わが町紹介』牛田ニュース、1986年、3-4ページ。
  6. ^ 盛岡幹造「尽きぬ思い出」『ひろしま教育・20年の歩み』広島市教育委員会総務課、1970年、35ページ。
  7. ^ 『観光事業―その使命と振興方策―』運輸省観光局、1959年、13-15ページ。
  8. ^ 『運輸と国民生活』運輸省大臣官房文書課、1961年、123ページ。
  9. ^ 「1. 広島ユースホステル開設からの経緯」『広島ユース・ホステル開設30周年記念 広島ユース・ホステル30年の歩み』広島市経済局商工・消費部観光課編集、1990年、23ページ。
  10. ^ 「広島市会全員協 昼食抜きの保護家庭児 全校給食中止で 市側の責任を追及 赤痢禍対策で緊急質問」『中国新聞』昭和34年9月29日付朝刊6面(広島版西部)。
  11. ^ 『昭和三十四年九月二十五日開会 昭和三十四年九月二十九日閉会 昭和三十四年第四回臨時市議会会議録』広島市議会、110ページ。
  12. ^ 「広島市会終る “PTA寄付〟で応酬 ユースホステルに協力」『中国新聞』昭和34年9月30日付朝刊6面(広島版西部)。
  13. ^ 『昭和三十四年十月二十三日開会 昭和三十四年十月三十日閉会 昭和三十四年第五回定例市議会会議録』広島市議会、47ページ。
  14. ^ 日本建築学会・運輸省観光局監修『ユースホステル』彰国社、1960年、72-73ページ。
  15. ^ a b 「待望のユース・ホステル開所式 至れり尽くせりの設備 豪華なムードに酔う参列者」『中国新聞』昭和35年5月29日付朝刊6面(広島版西部)。
  16. ^ 「広島県ユースホステル協会」『日本ユース・ホステル運動30年史』日本ユース・ホステル協会、1981年、109ページ。
  17. ^ 「中国地方の観光施設 今春のニューフェース 〝宇宙ブーム〟に乗る プラネタリウム(広島)や天文博物館(岡山) 旅の大衆化へ ユースホステルや国民宿舎 〝ドンチャン組〟には冷たい」『中国新聞』昭和35年3月2日付朝刊10面。
  18. ^ 『新修広島市史 第五巻 年表索引地図 編纂沿革』広島市役所、1962年、262ページ。
  19. ^ 『広島県史 年表 別編1』広島県、1984年、756ページ。
  20. ^ a b 「一日から開放 広島のユースホステル」『朝日新聞』昭和35年5月29日付朝刊12面(広島)
  21. ^ 『広島市議会史 法令資料編』広島市議会、1984年、652-653ページ。
  22. ^ 『広島新史 財政編』広島市、1983年、965ページ。
  23. ^ 「〝ドイツの森〟で記念植樹 モミなど約100本 デ大使夫妻迎え 広島」『中国新聞』昭和37年11月6日付6面(広島版西部)。
  24. ^ 「花時計」『朝日新聞』昭和37年11月6日付14面(広島)。
  25. ^ 「話のカゴ 〝ドイツの森〟の成長を見学」『朝日新聞』昭和38年3月15日付朝刊16面(広島市内)。
  26. ^ 「「山の家」が店開き 広島市牛田町浅野山 楽しい会合にもどうぞ」『中国新聞』昭和38年12月21日付夕刊2面。
  27. ^ 「映写施設も完備 「広島山の家」開く」『朝日新聞』昭和38年12月22日付朝刊16面(広島市内)。
  28. ^ 『広島新史 行政編』広島市、1983年、233ページ。
  29. ^ 「予算案と市民の暮らし⑧ 学校施設㊦ 広島 市立商高開設へ 小中も46教室を整備」『中国新聞』昭和39年3月13日付。
  30. ^ 『昭和39年3月12日開会 昭和39年3月31日閉会 昭和39年第1回広島市議会定例会会議録』20ページ。
  31. ^ 『昭和39年3月12日開会 昭和39年3月31日閉会 昭和39年第1回広島市議会定例会会議録』182ページ。
  32. ^ 『昭和39年3月12日開会 昭和39年3月31日閉会 昭和39年第1回広島市議会定例会会議録』195ページ。
  33. ^ 『広島新史 年表編』1986年、広島市、226ページ。
  34. ^ a b c 加納亜弥「広島ユースホステル 3月末廃止方針 広島市 平和学習 引き継ぎへ」『中国新聞』2013年(平成25年)1月19日付朝刊29面。
  35. ^ 『平成元年度予算特別委員会会議録』広島市議会事務局議事課、1989年、459ページ。
  36. ^ 日本ユース・ホステル協会編集『ユース・ホステル 中国・四国の旅』秋元書房、1964年、99ページ。
  37. ^ 「ユース様変わり ヤング貧乏旅行の時代は去った 日本人離れてどっと外国人」『朝日新聞』1992年(平成4年)3月6日付東京本社朝刊30面。
  38. ^ 「広島ユースホステル「安くて広い」 外国の中高生 利用増える 修学旅行や日本語研修 目立つNZ・豪州」『中国新聞』1996年(平成8年)9月19日付朝刊24面。
  39. ^ 「新しいふれあいのまち牛田」『牛田町誌』牛田町誌編集委員会編集、牛田ニュース、2002年、49ページ。
  40. ^ 「外国人集う広島の宿 広島ユースホステル(東区牛田新町1丁目) 修学旅行生も多数」『中国新聞』2000年(平成12年)8月6日付朝刊26面。
  41. ^ 「世界11か所の「平和学習センター」 広島YH選ばれる 国際YH連盟選定 外国人迎え活動解説」『読売新聞』2003年(平成15年)5月24日付大阪本社朝刊27面。
  42. ^
    • 江戸川夏樹「ユースホステル「平和と国際交流の夕べ」3年 被爆者の思い「世界」へ 外国人宿泊者に証言20人超」『朝日新聞』2008年(平成20年)11月18日付大阪本社朝刊28面(広島)。
    • 「ヒロシマ証言 外国人の宿 YH 交流会3年 「帰国後、友に伝えたい」」『朝日新聞』2008年(平成20年)11月30日付西部本社朝刊30面
  43. ^ 竹田直人「広島ユースホステル事情 旅先の出会い最高!」『読売新聞』2006年(平成18年)8月10日付大阪朝刊30面(広島)。
  44. ^ 広島ユース・ホステルに係る指定管理者候補の選定について
  45. ^ 『平成19年第6回広島市議会定例会会議録』広島市議会事務局議事課、2008年、232-236ページ。
  46. ^ 「少人数の食事提供断る 広島ユースホステル 広島市が改善指導」『中国新聞』2007年(平成19年)12月12日付朝刊28面。
  47. ^ 「地位保全仮処分を認定 広島高裁 YH解雇の職員訴え」『中国新聞』2008年(平成20年)1月17日付朝刊27面。
  48. ^ 石川昌義「広島ユースホステル 人件費で不適切会計 委託の広島市 一部返還求める 協会、ミス認める」『中国新聞』2007年(平成19年)12月11日付朝刊30面。
  49. ^ 石川昌義「広島YH管理者継続 不適切経理 広島市「詐取でない」 市議会総括質問」『中国新聞』2008年(平成20年)2月22日付朝刊24面。
  50. ^ 「東日本大震災 広島ユースホステルが被災者受け入れ」『朝日新聞』2011年(平成23年)3月26日付大阪本社朝刊23面(広島)。
  51. ^ 広島ユース・ホステルでの被災者の一時受入
  52. ^ 「広島ユースホステル 4月休館 存廃検討へ 指定管理者 利用減で辞退」『中国新聞』2012年(平成24年)2月9日付朝刊21面。
  53. ^ 澤本梓「広島YHきょう営業休止 外国人に「平和」伝え半世紀 震災影響で観光客減」『読売新聞』2012年(平成24年)3月31日付大阪本社朝刊33面(広島)。
  54. ^ 「広島YH存続 請願署名へ マネジャー代行ら 1万人目標 米、独でも」『読売新聞』2012年(平成24年)4月5日付大阪本社朝刊28面(広島)。
  55. ^ 「広島ユースホステル 存続求めて署名活動 従業員ら、市に月末提出」『中国新聞』2012年(平成24年)5月12日付朝刊25面。
  56. ^ 「広島ユースホステル 再開求め7473人署名 市に提出」『中国新聞』2012年(平成24年)6月6日付朝刊23面。
  57. ^ 「広島YH存続を要望 住民ら 市に7500人署名提出」『読売新聞』2012年(平成24年)6月6日付大阪本社朝刊35面(広島)。
  58. ^ 「再開請願書を市議会に提出 従業員ら」『中国新聞』2012年(平成24年)6月26日付朝刊23面。
  59. ^ 「広島YH 今年度末で廃止 平和学習の継続意向」『読売新聞』2013年(平成25年)1月30日付大阪本社朝刊30面(広島)。
  60. ^ 広島ユース・ホステルの廃止について
  61. ^ 「外国人宿泊客に平和学習の場を 民間ネットワーク設立へ 広島市」『読売新聞』2013年(平成25年)2月14日付大阪本社朝刊35面(広島)。
  62. ^ 森戸新士「ゲストハウス 絆育む交流宿 広島市内で相次ぎ開業 ケイズハウス広島(南区的場町)など ロビーに原爆関連の書籍」『中国新聞』2017年(平成29年)1月4日付朝刊30面。

外部リンク

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