コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

浜井信三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浜井信三
生年月日 1905年5月28日
出生地 広島県広島市三川町
没年月日 1968年2月26日
死没地 広島市
出身校 東京帝国大学法学部法律学科
前職 広島市助役

第20、21、23、24代 広島県広島市長
当選回数 4回
在任期間 1947年4月 - 1955年4月
1959年5月 - 1967年5月
テンプレートを表示

浜井 信三(はまい しんぞう、1905年明治38年)5月28日[1] - 1968年昭和43年)2月26日[1])は、日本の政治家、初代の公選広島市長(在任期間・1947年 - 1955年1959年 - 1967年渡辺忠雄市長を1期挟み通算4期市長を務めた)。濱井信三とも(胸像の銘文では濵井)。一貫して核兵器の全面禁止を訴え、広島の父、または原爆市長と称される。

広島平和記念都市建設法の成立に力を注ぎ、広島市中区中島町に平和を祈念する公園(広島平和記念公園)の建設、同じく市中心部への幅員100m道路(平和大通り)の建設を打ちだし、現在の広島市の街並みの基礎を造った。

略歴

[編集]

エピソード

[編集]

著作

[編集]
  • 論文「長期計画作成の実際と問題〜広島市の場合」『月刊都市問題』第54巻第4号(1963年4月)
  • 「広島市政秘話」1960年代
  • 『原爆市長〜ヒロシマとともに二十年』朝日新聞社1967年
長く絶版だったが、2006年5月、長男の手により復刻された(改定復刻版)。
  • 浜井信三追想録編集委『浜井信三追想録』1969年

その他

[編集]

参考文献

[編集]
  • 中国新聞社編集「広島県大百科事典<下巻>」295-296ページ、1982年。

関連項目

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、343頁。
  2. ^ a b 広島県大百科事典<下巻>295ページ
  3. ^ ヒロシマの記録-中島本町Ⅱ”. 中国新聞 (2000年10月16日). 2013年8月1日閲覧。
  4. ^ 小松左京さんと8・6 - 天風録”. 中国新聞 (2011年7月30日). 2014年3月7日閲覧。
  5. ^ 富中佑輔「佐伯千秋伝記研究のための覚書 : 「少女小説」戦後第一世代作家の様相を明らかにするために」『愛知淑徳大学国語国文』第41巻、愛知淑徳大学国文学会、2018年3月、103-125頁、ISSN 0386-7307NAID 120006487892 

外部リンク

[編集]