広島市立高陽中学校
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広島市立高陽中学校 | |
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北緯34度28分42秒 東経132度32分02秒 / 北緯34.47845度 東経132.53388度座標: 北緯34度28分42秒 東経132度32分02秒 / 北緯34.47845度 東経132.53388度 | |
過去の名称 |
組合立高陽中学校 安佐郡高陽町立高陽中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 広島市 |
校訓 | 明・浄・直 |
設立年月日 | 1949年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | C134210001490 |
中学校コード | 340037[1] |
所在地 | 〒739-1751 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
広島市立高陽中学校(ひろしましりつ こうようちゅうがっこう)は、広島県広島市安佐北区に所在する公立中学校である。
概要
[編集]1949年(昭和24年)、5か村(狩小川、深川、落合、口田、福木)の組合立の学校として創立された。旧高陽町唯一の中学校であったが、学区内における生徒数増加により、広島市への合併から3年後の1976年(昭和51年)4月7日に、広島市立落合中学校が分離開校された。
本校の敷地内には、高陽町郷土資料館があり、高陽町内の考古遺物・歴史民俗資料が展示されている。
沿革
[編集]経緯
[編集]1949年(昭和24年)、安佐郡狩小川村、深川村、落合村、口田村、福木村の組合立の中学校として創立された。1955年(昭和30年)、狩小川村、深川村、落合村、口田村の合併による高陽町の発足により、安佐郡高陽町立高陽中学校と改称された。 1973年(昭和48年)、広島市への編入により広島市立高陽中学校と改称された。1976年(昭和51年)4月7日に、広島市立落合中学校が分離開校した。
年表
[編集]- 1949年(昭和24年) - 安佐郡狩小川村、深川村、落合村、口田村、福木村の組合立の中学校として創立
- 1955年(昭和30年) - 安佐郡高陽町立高陽中学校と改称
- 1973年(昭和48年) - 広島市立高陽中学校と改称
- 1976年(昭和51年)4月7日 - 広島市立落合中学校の開校により、校区を分離
年間行事
[編集]部活動
[編集]- 女子バスケットボール部
- 男女バレーボール部
- 野球部
- サッカー部
- 陸上部
- 男女ソフトテニス部
- 卓球部
- 手芸部
- 吹奏楽部
校区
[編集]周辺施設
[編集]- 広島市立郷土資料館
アクセス
[編集]著名な関係者
[編集]- 出身者
- 木村安子 - ローマオリンピック日本代表陸上競技選手。
- 木谷晃彦 - メキシコシティオリンピック日本代表競泳選手。
- 中野悟 - 東京オリンピック、メキシコシティオリンピック日本代表競泳選手。
- ØKI - THE STREET BEATSのボーカリスト[2][3]。
- 教職員
- 坪井直(日本原水爆被害者団体協議会代表委員、広島県被団協理事長) - 元教頭( - 1981年)。
脚注
[編集]- ^ “広島県所属中学コード表 - 教育開発ONLINE” (PDF). 2020年10月10日閲覧。
- ^ “OKI'S DIARY 2016”. THE STREET BEATS公式サイト (2016年6月3日). 2019年8月17日閲覧。
- ^ 坪井が教頭だった1980年は3年生として在籍していたことになる。