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広島東映・広島ルーブル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
広島東映・広島ルーブル
Hiroshima Toei & Hiroshima Louvre
広島東映・広島ルーブルが入っていた広島東映プラザビル
情報
正式名称 広島東映・ルーブル
旧名称 広島東映劇場・東映パラス
開館 1995年10月7日
開館公演 (東映)
マディソン郡の橋(ルーブル)
閉館 2009年11月13日
最終公演 仏陀再誕(東映)
さまよう刃(ルーブル)
収容人員 (2館合計)436人
設備 5.1chデジタル35mm映写機
用途 映画上映
運営 東映株式会社
所在地 730-0013
広島市中区八丁堀16-10
広島東映プラザビル8階
位置 北緯34度23分40.3秒 東経132度27分43.3秒 / 北緯34.394528度 東経132.462028度 / 34.394528; 132.462028座標: 北緯34度23分40.3秒 東経132度27分43.3秒 / 北緯34.394528度 東経132.462028度 / 34.394528; 132.462028
最寄駅 広電本線立町電停そば
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広島東映プラザビル
Hiroshima Toei Plaza
店舗概要
所在地 730-0013
広島県広島市中区八丁堀16-10
開業日 1995年10月
正式名称 広島東映プラザビル
施設所有者 東映株式会社
中核店舗 ハンズ広島店
ダイナム信頼の森・広島八丁堀店
広島東映・広島ルーブルサロンシネマ
営業時間 各フロアによって異なる
前身 広島東映劇場
最寄駅 広島電鉄本線立町停留場
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広島東映・広島ルーブル(ひろしまとうえい・ひろしまルーブル)は、広島市中区八丁堀の広島東映プラザビル8階にかつて存在した日本の映画館である。東映株式会社が経営・運営した。

沿革

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  • 1956年9月28日 : 広島東映劇場・広島東映地下劇場が開館
  • 1972年9月2日 : 広島東映地下劇場が広島東映パラスに改称
  • 1993年4月12日 : 広島東映劇場・広島東映パラスが閉館
  • 1995年 : 広島東映・広島ルーブルが開館
  • 2009年 : 広島東映・広島ルーブルが閉館

歴史

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東映プログラムピクチャーの全盛期だった1956年(昭和31年)9月28日、直営館の広島東映劇場が開館[1][2]。『全国映画館録 1960』によると1960年の広島市には52館の映画館があり[1]、広島市の目抜き通りである相生通りには、もっとも多い時期で10館近くの映画館が存在した[1]。鉄筋コンクリート造の建物の4階に広島東映劇場が、地下に広島東映地下劇場が存在[3]。広島東映劇場の座席数は1,110席、広島東映地下劇場の座席数は460席であり、広島東映劇場は東映作品を、広島東映地下劇場は洋画を上映していた[3]。1980年時点では4階が広島東映劇場、地下が広島東映パラスという名称であり、広島東映劇場の座席数は718席、広島東映パラスの座席数は352席だった[4]。同年の広島市には28館の映画館があった[4]

1993年(平成5年)にはビルの老朽化による建て替えのため閉館。1995年(平成7年)10月7日には広島東映劇場ビル跡地に広島東映プラザビルがオープン[2]。1階から7階に東急ハンズ広島店が入店し、8階に映画館の広島東映・広島ルーブルが開館した。改築後の第1作は『』(東映)と『マディソン郡の橋』(ルーブル)。2005年には県内の尾道市などでロケが行われた『男たちの大和/YAMATO』が大ヒットを記録した[2]

2008年(平成20年)時点で東映の直営館は東京を除けば本館のみだった[1]。晩年は女性や年配者が客層の中心であり、『相棒 -劇場版- 絶体絶命! 42.195km 東京ビッグシティマラソン』や『クライマーズ・ハイ』(いずれも2008年)がヒット作となった[1]。2000年代には郊外型のシネマコンプレックス[注釈 1]の影響により観客動員数が低迷したため、2009年(平成21年)11月13日をもって閉館[2]。最後の作品は『仏陀再誕』(東映)・『さまよう刃』(ルーブル)であった。広島東映劇場閉館後、広島市周辺の東映系作品上映は広島バルト11に集約された。

2014年6月24日には、序破急が鷹野橋で営業していたサロンシネマを、9月中旬に広島東映・広島ルーブル跡地に移転させると報じられた[5]。当初は、移転に合わせて劇場名を変更する予定だったが[6]、ファンの要望より名称変更を行わないことに決定し、9月20日に広島東映プラザビルに移転して開館した[7]

特徴

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広島東映・広島ルーブルは八丁堀にある広島東映プラザビル8階に存在した。東映・ルーブル閉館の広島東映プラザビルの地下1階にはダイナム信頼の森・広島八丁堀店が、1階から7階にはハンズ広島店、8階にサロンシネマ1・2が入居している。2階にはハンズが運営するカフェ『ハンズカフェ広島』がある[注釈 2]。チケット売り場は1階であり、専用のエレベーターで8階まで上がる[1]。8階のロビーでは映画関連グッズを販売しており、マスコミ用のプレスシート(非売品)も閲覧することができた[1]。広島東映・広島ルーブルともにワンスロープ型の空間であり、どこからでも観やすいようにスクリーンは高い位置に設置されていた[1]。広島東映・広島ルーブル閉館後、チケット売り場の跡地は信頼の森・広島八丁堀店の景品交換所に転用された。

広島東映の座席数は258席であり[1]、主に東映の作品が上映された。広島ルーブルの座席数は178席であり[1]松竹東急系の洋画の大作が上映された。広島ルーブルは丸の内ルーブル系のチェーンだが、『ドラゴン・キングダム』や『ココ・アヴァン・シャネル』など、まれに丸の内ピカデリー1・2・3系の作品も上映することがあった。

脚注

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注釈

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  1. ^ 閉館時点で半径10km圏内に、『ワーナー・マイカル・シネマズ広島』(広島イースト(当時・広島サティ、現・広島段原ショッピングセンター)、南区段原)・『広島バルト11』(当時・イオンモール広島府中ソレイユ、現・イオンモール広島府中)、安芸郡府中町大須)・『109シネマズ広島』(アルパーク西区草津南(商工センター))、『TOHOシネマズ緑井』(フジグラン緑井安佐南区緑井)が存在していた。
  2. ^ 1995年のオープン当時から2014年2月23日までは、東急ハンズが地元・広島のイタリアンレストラン『サンマリオ』を誘致し『ピッコリーノマリオ』のブランドで営業していたが、契約満了に伴い自社運営のカフェにリニューアルされた。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j 広島東映/広島ルーブル 「港町キネマ通り
  2. ^ a b c d 『広島東映・ルーブル11月閉館』 - 中国新聞 2009年10月14日
  3. ^ a b 『映画年鑑 戦後編 別冊 全国映画館録 1960』日本図書センター 1999年
  4. ^ a b 日本映画製作者連盟配給部会『映画館名簿 1980年』時事映画通信社 1979年
  5. ^ 『サロンシネマ 八丁堀に移転 広島東映プラザビル内9月にも 座席ゆったりレトロな雰囲気』 - 中国新聞 2014年6月24日 27ページ
  6. ^ 『広島・鷹野橋商店街で上映半世紀 サロンシネマ8月閉館 老朽化 市内で移転へ』 - 中国新聞 2014年5月21日 28ページ
  7. ^ 『「サロンシネマ」のままで♪ 広島 来月20日移転オープン ファン要望で名称変えず』 - 中国新聞 2014年8月2日 27ページ

関連項目

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広島県内にある東映系のシネマコンプレックス(いずれも関連会社のティ・ジョイが経営・運営)

外部リンク

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