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広島県立豊田高等学校

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広島県立豊田高等学校

広島県立豊田高等学校遠景
(西方向)2010年4月30日撮影
地図北緯34度17分52.7秒 東経132度47分43秒 / 北緯34.297972度 東経132.79528度 / 34.297972; 132.79528座標: 北緯34度17分52.7秒 東経132度47分43秒 / 北緯34.297972度 東経132.79528度 / 34.297972; 132.79528
国公私立の別 公立学校
設置者 広島県の旗 広島県
併合学校 広島県立竹原高等学校安芸津分校
広島県立竹原高等学校安浦分校
校訓 和光同塵
設立年月日 1978年
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学校コード D134210000364 ウィキデータを編集
高校コード 34185B
所在地 739-2405
広島県東広島市安芸津町小松原1202-4
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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広島県立豊田高等学校(ひろしまけんりつ とよたこうとうがっこう)は、広島県東広島市安芸津町小松原にある県立高等学校

概要

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歴史
1978年昭和53年)に広島県立竹原高等学校の分校2校が統合され開校した。2013年平成25年)に創立35周年を迎えた。
設置課程・学科
全日制課程 普通科
校訓
「和光同塵」
校章
校名「豊田」のイニシャルである「T」の形と地域特産のビワの実を組み合わせたものを背景にして、中央に「高」のもじを置いている。
校歌
作詞は初代校長の成瀬大海、作曲は永井主憲による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「豊田高校」が登場する。

沿革

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旧・安芸津分校
  • 1940年(昭和15年)4月1日 - 豊田郡安芸津町三津に「広島県三津実科高等女学校」が開校。
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 「広島県三津高等女学校」に改称。
  • 1948年(昭和23年)6月30日 - 統合により「広島県竹原高等学校 安芸津分校」(定時制)となる。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 醸造科を新設。
  • 1962年(昭和37年)4月1日 - 全日制に移行。
  • 1968年(昭和43年)10月1日 - 「広島県立竹原高等学校 安芸津分校」に改称(県の後に「立」が付される)。
旧・安浦分校
  • 1940年(昭和15年)4月1日 - 豊田郡安浦町内海に「広島県内海実科高等女学校」が開校。 
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 「広島県内海高等女学校」に改称。
  • 1948年(昭和23年)6月30日 - 統合により「広島県竹原高等学校 安浦分校」(定時制)となる。
  • 1961年(昭和36年)4月4日 - 生活科を家政科に改称。
  • 1962年(昭和37年)4月1日 - 全日制に移行。
  • 1968年(昭和43年)10月1日 - 「広島県立竹原高等学校 安浦分校」に改称(県の後に「立」が付される)。
統合
  • 1978年(昭和53年)4月1日 - 上記2校を統合の上、広島県立竹原高等学校から分離し、「広島県立豊田高等学校」(現校名)として独立。
    • 初代校長に成瀬大海が就任。
  • 1981年(昭和56年)4月1日 - 統合校地・校舎が現在地に完成し、移転を完了。
  • 1983年(昭和58年)
  • 1984年(昭和59年)12月10日 - 生徒歌を制定。
  • 1987年(昭和62年)1月30日 - 格技場が完成。
  • 1999年(平成11年)3月31日-家政科の募集停止、普通科のみになる。

交通

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最寄りの鉄道駅
最寄りの幹線道路

出来事

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  • 1971年7月6日 - 安浦分校の生徒3人が教諭1人を暴行した疑いで逮捕。同日、これに先立って試験をボイコットしていた生徒28人(逮捕者含む)を4日間謹慎処分[1]

脚注

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  1. ^ 「首謀の3人逮捕 竹原高の集団暴行」『中國新聞』昭和46年7月8日7面

関連項目

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外部リンク

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