広徳ロケット発射場
座標: 北緯30度57分 東経119度13分 / 北緯30.950度 東経119.217度
広徳ロケット発射場(广德火箭发射场[1][2])は中国の安徽省宣城市広徳市誓節鎮誓節渡に位置する、弾道飛行用のロケット発射場[3]。中国科学院により運用され、603基地としても知られる[4]。
四方を山に囲まれ交通の便が悪いが、より制限の大きかった南匯(上海市近郊)の射場の代わりとして選ばれた。
歴史
[編集]581局の指示のもと、射場の建設は1960年の3月に始まり、気象所、レーダー、コントロール・トラッキング基地、ローンチパッド、整備塔、推進燃料貯蔵庫、推進テスト施設、居住区といったものも含め、6ヶ月以内に全て完成した。
発射センターは、最初は中国科学院地質・地球物理学研究所(Institute of Geology and Geophysics Chinese Academy of Sciences)により管理され、1960年6月に上海市機電設計研究院(Shanghai Institute of Mechanical and Electrical Engineering)が引き継いだ。最終的には1963年に国防部第五研究院(Fifth Academy of the Ministry of National Defence)が管理することになった。
1960年から1966年に、観測ロケットT-7とT-7Aが数回打ち上げられた。
1964年7月19日、T-7A/S1による8匹のシロネズミの打上げと回収を行い、初めて生物学実験飛行に成功する[5]。
最後の打上げは、1966年7月28日のイヌを乗せたT-7A/S2の打上げであるといわれる[3]。
参考文献
[編集]- ^ “1960年”. 历史沿革. Chinese Academy of Sciences (2001年10月30日). 2004年11月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月27日閲覧。
- ^ “军事史话(第七部) 导弹部队史话”. 军事历史. Lantianyu.net (2008年3月1日). 2008年10月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月4日閲覧。
- ^ a b “Shijiedu”. Encyclopedia Astronautica. 2007年1月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年11月2日閲覧。
- ^ 张劲夫 (2006年10月17日). “我国第一颗人造卫星是怎样上天的?”. 新闻. Chinese Academy of Sciences. 2008年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月27日閲覧。
- ^ “贝时璋院士:开展宇宙生物学研究”. Sina (2006年11月15日). 2008年5月8日閲覧。