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廉貞院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

廉貞院(れんていいん、元和4年6月6日1618年7月27日) - 寛文11年9月19日1671年10月21日))は、江戸時代初期の女性。福井藩松平忠直の次女。母は徳川秀忠三女の勝姫。名は鶴姫(つるひめ)、長子九条道房の正室。贈従三位。同母兄姉に松平光長亀姫がいる。

越前北荘城にて生まれる。寛永9年(1632年)、叔父徳川家光の養女として従兄である九条道房に嫁ぎ、長子と改名した。道房との間には5人の娘が生まれ、長女愛姫は浅野綱晟の正室、次女令姫は本願寺常如光晴の室、三女梅姫は松平綱賢の正室、四女待姫は婿養子九条兼晴の正室、五女八代姫は綱晟の継室となった。

寛文11年(1671年)、54歳で死去し、東福寺(もしくは一心院)に葬られた。戒名は廉貞院機夾俊巧大禅定尼。従三位を追贈された。

補足

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忠直と勝姫の子女の中で、血筋を現在にまで伝えているのは廉貞院のみであり、第126代天皇徳仁[1]や多くの大名家や公家、旧皇族などにも繋がる。

脚注

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  1. ^ 鶴姫-待姫-輔実幸教二条宗基治孝九条尚忠道孝節子大正天皇皇后)-昭和天皇上皇明仁天皇徳仁

参考文献

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  • 幕府祚胤伝(『徳川諸家系譜』第2巻)
  • 三世恵照公年譜(『徳川諸家系譜』第4巻)